とんま天狗は雲の上

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ブランケット・ブルームの星型乗車券

 雑誌「パピルス」は今も発行されているが、本書は2005年から6年まで、創刊号から第8号までに連載されたものを加筆・修正したもの。<ブランケット・シティ>で発行されている<デイリー・ブランケット>紙の専属記者であるブランケット・ブルーム氏の連載コラムを収録したという設定で、毎号5話ずつ、<ブランケット・シティ>を巡る環状鉄道<ブランケット・ドミノ・ライン>の各駅にまつわる記事が掲載されている。

 1章につき5話。各章は、最初は特にテーマはなかったようだが、第2章のテーマは「眠り」。ちなみに章という言葉は使われず、「BLANKET CITY a」。以下、bからhまで。一周10駅の路線なので、aとbで1周分。全部で4周。以下、テーマは「スナップ」「冬」「物語」「興亡」「探偵」「なんか」とったところか。はっきり明示されているわけではなく、章の頭に全体を説明する短めのコラムが掲載されている。

 とにかくおしゃれ。装幀・レイアウトは吉田浩美と篤弘のクラフト・エヴィング商會。さすが。文中に、装幀やタイトルを否定する作家についてのコラムがあるところがご愛敬。そしてコラムの中身もおしゃれ。2006年に連載は終了していたが、これをぜひ単行本にしたかったんだろうな。そして巻末に、2017年発行のDaily Blanketが掲載されている。もちろん、ブランケット・ブルーム氏のコラムも。そこには<警鐘人>パンタグリュエル氏が去っていくという記事が。もう会えない。というのは、「ブランケット・ブルームの星型乗車券」も完結ということを暗示しているのかな。

 

ブランケット・ブルームの星型乗車券

ブランケット・ブルームの星型乗車券

 

 

〇「人」と「誇り」は相性がよくない。・・・その点、「街」と「誇り」は相性がいい。街が街ぐるみで誇れるものがあるというのは、なんともすがすがしいことだ。・・・われわれの街は、ときに「毛布をかぶった臆病者の街」と揶揄されることがある。/が、臆病者ならではの慎重さが、この街を「世界一家事の少ない街」として表彰台にのぼらせてくれた。/その誇らしい表彰から、さかのぼること半世紀、「臆病で何が悪いのか」と書いたひとりの男がいた。・・・氏の著作にこうある―。/「もちろん、<勇気>も大切だが、ときには、<臆病>がより良い結果を生むことがある。さしずめ、人の強さを信じるのが<勇気>なら、人の弱さを信じるのが<臆病>である」(P15)

〇「もともと、誰もが二面性を持っていて、それを無理矢理ひとつのパーソナリティに押し込もうとするから破綻が起きるんです。それより、二面性を具体化させることで、ふたつの個性をバランスよく維持する方が賢明です」/思えば、われわれは、腕と足と目と耳をふたつひと組のペアとして活用してきた。この要領で声を右と左に分けてしまおうというのが<セカンド・ボイス>の考え方である。・・・そのうち、われわれの進化は、目や耳と同じように、口をふたつ持つことになるのかもしれない。/口のみならず、脳や心さえも―。

〇つまり、未来はいつでも過去に似ているのです。そのためにも、記録を残すことは非常に重要な作業です。それも、数字や現象以外の記録を残すこと、それが作家や詩人の役目なのかもしれません。/物語を書くことができるのは、いつでも生き残った者である―誰かがそう云っていました。しかし、本当に物語を語るべきなのは亡くなった人たちです。(P86)

〇「タイトル、装幀、キャッチコピーといった作品のまわりに付属するものに興味がないのです・・・そもそも、人の口から口へ語りつがれてきた物語に、洒落たタイトルなどなかったはずです。その時々でうつろってゆくのが物語で、タイトルを付けた途端にパッケージ化されて身動き出来なくなる。それでは物語を殺してしまいます。物語というのは、もっと有機的な、いわば軟体動物のようなもので、常にかたちを変えながら、我々を侵食するものです」(P89)

〇「これこれ、こうで」と、まことしやかな理由をくどくど並べられるより、「わけもなく」の潔さが何より強く、いまや「わけもなく」は数ある「わけ」の中で、ダントツ1位の説得力を持つようになりました。/現代において「わけもなく」は「なんか」という言葉にお手軽に置き換えられ、日に何度も、いえ何十回も、この「なんか」が会話の端々に挟み込まれています。たとえば、/「わけもなく揺さぶられる」/を現代の日常会話で使う言葉に変換すると、/「なんか、いい感じ」/といったところでしょうか。(P143)