とんま天狗は雲の上

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カズオ・イシグロ、ノーベル賞受賞!

 カズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞したという速報を聞いて、まるで自分のことのようにうれしかった。村上春樹を中心に追っていた日本のマスコミは、カズオ・イシグロの名前を聞いて、「予想外」なんて書いていたが、私の中では十分予想されていた。むしろ村上春樹よりもノーベル賞に近い作家だと思っていた。

 カズオ・イシグロの方が村上春樹よりも社会性がある。社会を変えなくてはいけない。そんな思いがその饒舌な物語性の陰に潜んでいる。それに比べると、村上春樹の方がより個人的だ。もちろん現代社会に対する批判精神はエルサレム文学賞のスピーチなどでも表明されてはいたが、彼の作品は社会性に翻弄される個人の精神性を描いている。その点では、村上春樹の方がより日本的、またはアジア的なのかもしれない。

 今回の受賞で、日本でもしばらくの間、カズオ・イシグロ・ブームが続くのだろう。とりあえず、「わたしを離さないで」「日の名残り」がクローズアップされている。「日の名残り」はたまたま先月、BS12で放送をしていたので録画し、観ていた。その震えるような心情に同調するが、改めてカズオ・イシグロの多様性に驚かされる。「浮世の画家」「遠い山なみの光」は戦後間もない日本が舞台となり、「わたしたちが孤児だったころ」日中戦争中の上海が舞台となっている。特に日本が舞台となった2作品では、まるで谷崎潤一郎を彷彿とさせるような巧みな日本語で書かれている。もちろんこれは翻訳者が優れているということもあるだろうが、受賞直後のインタビューでイシグロ自身が語っていたように、日本人の心性が確かに彼の作品の中には流れている。

 しかしそれだけではない。「充たされざる者」ではほとんど狂ったような不可思議な世界を描く。また、「夜想曲集」では音楽家たちを主人公にした短編集。そして、「忘れられた巨人」ではアーサー王時代の忠誠を舞台にしたファンタジー。こうした多様性もカズオ・イシグロの大きな魅力。

 カズオ・イシグロ作品の中では、この最新刊「忘れられた巨人」が一番面白い。民族間の憎しみと忘却の力。壮大にしてヒューマン。でも、イシグロ自身が言っていたように、「ノーベル賞を受賞して過去の作家にはなりたくない」、なってほしくない。きっと次の作品ではまた、これまでとは違った小説世界を描き出してくれるのではないだろうか。それを期待したい。

 ところで、ノーベル賞授賞理由として公表された「壮大な感情の力を持つ作品で、世界と結び付いているという幻想的感覚の下の深淵を暴いた」ってわかりにくい言葉ですね。他にもいろいろな訳があるようだけど、まず、「人間感情がきちんと描かれている小説で、その個人の感情と社会との結びつきというのは、幻想的でしかないということを明らかにした」といった意味だろうか。でも、だからといって、社会と個人との結びつきを諦めるというのではなく、ではどうすれば結び付けられるのかを考えている作品だと思う。「暴かれた深淵を感情の力でいかに繋げていくのか」。それこそがカズオ・イシグロの真価であり、ノーベル賞受賞の理由ではないだろうか。