とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

びっくりしてはいけない

 いつだったか、トイレのドアを開けたら、妻が入っていてびっくりした。思わず「あ!びっくりした!」と声に出したら、その後の妻の機嫌が悪い。だって、照明は点いていないし、鍵もかかっていないし、てっきり空いていると思ってもしょうがない。「ノックをしてよ」と言うのだが、自宅のトイレをノックして入る人間がどれだけいる? その時は半日くらい夫婦喧嘩状態だったが、その後、会話を交わし、最後は、そういう時には私は「びっくりした」ではなく「あ!ごめん!」と言えばよい、という合意がなされた。まあ、「びっくりした」よりも「ごめん」の方が短いから、習慣付ければどっちでもよい。その後、同様のシチュエーションでしっかりと「あ、ごめん!」と口にして、事なきを得ている。

 ところが先日、今度は2階で、娘の部屋のドアをノックしたら、中から、ゴン!(大文字)と大きな音がした。足でドアを蹴飛ばしたのだ。思わず「あ!びっくりした」と口に出た。それでも娘とはその後は何でもなく会話を交わし、用を済ませて1階へ降りてきた。

 するとなぜか妻の機嫌が悪い。「急に大きな声をあげるから、びっくりした」と言う。「だって、こちらこそ、娘のたてた音にびっくりしたんだからしょうがいないだろ」。そう反論したが、妻の機嫌が直らない。「じゃ、なんて言えばいいんだ。『あ、ごめん』じゃないだろ。こっちはノックしただけなんだから。娘を叱れよ」。ということで、また半日近く喧嘩状態が続く。

 さて、どうすればいいんだろう。いや、どうして妻は私が「びっくりした」というと機嫌が悪くなるんだろう。「びっくりした」と言う声にびっくりしたのは分かる。しかしそれなら単に「びっくりした」と言えばいい。「驚く」というのは確かに被害の一種とも言えないことはないが、それほどの実害があるわけじゃない。小さいながらもその種の被害を受けたことを憤慨しているのか。

 それもあるかもしれないが、もう一つ考えられる。それは、「信頼する夫にびっくりしてほしくない。何があっても冷静沈着に対処してほしい」という期待が裏切られたことに対するショックということ。わからないではないが、びっくりするようなことがあった時に、びっくりしないというのはなかなか難しい。まさに人間性の問題だ。感受性の問題かも。

 しかしそう期待されているのなら、夫としてがんばらねばならない。これからはたとえどんなに驚いても、「びっくりした」とは声に出さないようにしよう。できるかな? できないだろうな。で、結局、どうしたらいいのか。今のところ同じような出来事は起きていない。今度起きた時に、自分はどうするのか。自分に対して楽しみにしている。