とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ヘンリ・ライクロフトの私記

 私と同じく、この3月で定年を迎えた友人が、愛読書として紹介してくれた。彼は定年後、同じ会社に再雇用者として働いているが、責任から解放され、自由な趣味の時間を満喫している、と言う。私の父も退職後は趣味の写真に没頭し、幸せな人生を生きているように見える。自分はどうか。そもそも私の趣味とは何か。読書・旅行・サッカー・パソコン・・・。

 若い頃は文筆業で身を立てるも貧窮の日々。それが一転、思いがけない遺産を受け継ぎ、悠々の生活を手に入れる。南イングランドの穏やかな気候の中で、時に散歩して自然を満喫し、思うままに読書を重ねる日々。社会と隔たり、個人的な楽しみのみを追求する余生を、これ以上の幸福はないとしみじみと述懐する。

 これを書いた時期のギッシングは現実には貧窮な都会生活から逃れられずにいる。しかも自らよりも10歳ほど上に設定したヘンリ・ライクロフト氏は、こうした生活を5年ほど続けた後に急逝するのである。ギッシングは本当に、こうした暮らしを幸せなものと考えていたのであろうか。金と時間があれば、人は幸せな時を過ごすことができるのか。

 しかもギッシング本人も、本著を書き上げて後、しばらくして急逝する。前のめりのまま死んでいったギッシング自身は不幸だったのか。だがこうして作品は残った。どういう生き方が真に幸せなのか。定年を迎えてみて改めて隠棲の生活の意味を考えてみる。

 先日、もうすぐ定年間近の友人たちと呑む機会があった。彼らはみんな定年後もこれまでの経験や資格を生かして新たな生活にチャレンジしたいと語っていた。その方が幸せのような気もするし、一方で、彼らは現役時代に挫折を知らずに生きてきたからとも思う。冒頭に挙げた友人は確かに40歳半ばに挫折して以降、定年後の隠棲生活を夢に語っていた。

 自分はどうか。どちらかと言えば、定年間近の友人たちと同じ現役時代を過ごしてきた。だが、それで培った経験と知識を生かす道がわからない。今後どう生きていけばいいのか。請われるままに。いや誰からも請われなかった時にどうしたらいいか。それを不安に思っている自分がいる。

 

ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)

ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)

 

 

○私は自分が今まで経てきた生涯のすべての出来ごとの必然性を、まじめに、しかも快く承認することができる。かくなるべきであったし、また現にかくなったのである。このためにこそ自然は私を作ってくれたのである。・・・永遠から永遠にわたる万象の流れの中で、私の定められた運命はまさにかくの如きものであったのだ。・・・もしも私の晩年が無残な貧窮のうちに送られたとしたら、はたしてこれだけの人生観を私はうることができたであろうか。仰いで天井の光をみようともせず、不平たらたら、ただ自憐の奈落の底に沈み、のたうちまわっていたのではなかったろうか。(P30)

○実は、私はどうしても自分を「社会の一員」と思う気にはならなかったのである。私にとっては、昔からただ二つの実在しかなかった。すなわち、私自身と世間とである。そしてこの両者間の正常な関係はといえば敵対関係にほかならなかった。私は今でも依然として社会秩序の一部を構成することのできない、孤独な人間なのではないかと思う。(P33)

○耐えることのない心配、苦悩、恐怖ほど記憶力にとって悪いものはないのだ。かつて読んだもののうちからわずかばかりの断片しか私は覚えていないのである。それでも私は、しつように、喜んで読みつづけるだろう。まさか将来の生活にそなえて博学になろうとしているわけでもない。もう忘れるのも苦にならなくなった。刻々とすぎてゆく瞬間瞬間の幸福を私はしみじみと感じる。人間としてこれ以上求めるものはなにもないと思う。(P62)

○人生の諸条件に自らを屈服せしめうる人間の能力を、私はいつも無限の哀感をそそる事実として眺めてきた。満足とは実にしばしばあきらめを意味し、果たすべくもないと観じた希望の放棄を意味する。/私はこの疑惑を解決することができない。(P167)

○金こそは時間なのだと思う。金があれば、私は時間を自分の好きなように買うこともできる。・・・あまり多くの金を持っている人は、金の本当の用い方に関するかぎり、金をあまり持っていない人と同じく、生活は苦しいものなのだ。われわれが生涯を通じてやっていることも、要するに時間を買う、もしくは買おうとする努力にほかならないといえないだろうか。ただ、われわれの大多数は、片手で時間をつかみながら、もう一方の手でそれをなげ捨てているのである。(P274)