とんま天狗は雲の上

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閉じていく帝国と逆説の21世紀経済

 2013年に大沢真幸との対談集「資本主義の謎」で水野和夫を知って以来、水野氏の本は読んできたが、どれも基本的な主張点は変わらない。本書でも、「長い21世紀」、「資本主義の終焉」といったおなじみのフレーズが繰り返される。本書ではさらに踏み込んで、「長い21世紀」の後の社会を展望する。

 一言でいえば、「閉じた帝国」と「定常経済圏」。前者の事例として、EUや中国を挙げるが、必ずしもそれらがぴったり「閉じた帝国」に当てはまるわけでもない。兆候としてそれらの存在があるというまでだ。また「定常経済圏」については、本書の中でもそれほど多くのページを割いて説明をしているわけではない。これは「経済」という側面だけでなく、「民主主義の破壊」「主権国家システムの崩壊」といった現象の先に、定常的な社会として実現してくると予言する。「定常経済圏」と言えば、「定常型社会」を提言する広井良典が思い出されるわけだが、2017年8月の「ASAHI REVIEWS」では、広井の「人口減少社会という希望」に対して水野が書評を書いている。それほど多くの字数を書いていないが、シンパシーを感じていることはよくわかる。どこかで二人の対談などがないだろうか。そんな企画本があったらぜひ読みたいと思う。

 日本の、世界の、人類の未来はどうなっていくのか。「蒐集」に囚われていても、それらを死後に持っていけないのだから、そろそろ蒐集は止めた方がいい。それよりも今あるもののうちで回していけば、より豊かになれる。そんな社会をいかに実現していくのか。次第にゴミ屋敷と化していくわが家を見ながら、「妻よ、おまえもか」と嘆息をする。世界に関わることができなければ、まずはわが家から。そして本を読みながら、知識の蒐集も意味がないか、と思ったりしている。

 

閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 (集英社新書)

閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済 (集英社新書)

 

 

イノベーションによって経済成長さえすればデフレや財政赤字が解決できると考えるのは、市場が無限に拡大する・・・という「セイの法則」の呪縛にとらわれているからです。・・・「セイの法則」が成立しない現代において、資本主義と民主主義が結合することはありません。この条件を忘れて、成長を追い求めれば、そのツケは民主主義の破壊となって現れます。・・・民主主義の機能不全は、「資本主義の終焉」の帰結なのです。(P64)

〇経済単位と政治単位が一致するのが秩序安定にとって最適なので、食糧、エネルギー、工業製品(生産能力)がその地域で揃う「地域帝国」サイズの単位が、21世紀の経済単位としては最大となる可能性が高いのです。/一方、・・・ゼロ金利が実現した日本やドイツでは、地域帝国のサブシステムとして国民国家よりさらに小さい単位が大半の企業の活動範囲となっていくでしょう。「より近く、よりゆっくり、より寛容な」社会への移行が起きるのです。(P134)

主権国家システムは、国家同士は互いに対等と言いながら、主権国家システムの外部に「蒐集」可能な「周辺」を必要としていることは明らかです。・・・そして、現代はフロンティアなき時代です。・・・このときに「閉じる」という知恵がなければ、世界秩序は崩壊へと向かっていくことでしょう。/しかも「資本主義の終焉」が、主権国家システムにも「死亡宣告書」を突きつけている。だからこそ、「閉じた帝国」の時代が近づいてきていると言えるのです。(P192)

〇私たちは、自覚的に定常状態を目指していかなければなりません。・・・政府がなすべきことは、基礎的財政収支を均衡させ、税負担を高めないようにすることに加え、人口減少を9000万人あたりで横ばいにすることです。そのうえで、安いエネルギーを国内で生産し、原油価格の影響を受けない経済構造にしていくことです。(P211)

〇長い目で見れば、ユートピアが存在しないように、国民主権国家と資本主義からなる近代システムも完ぺきではありません。近代システムを解体するときもいつかはやってきます。その先に展望されるポスト近代システムとして、本書は「閉じた帝国」と「定常経済圏」のふたつを挙げました。/「長い21世紀」という混乱期を経て、世界は複数の「閉じた帝国」が分立し、その帝国の中でいくつかの「定常経済圏」が成立する。この理想に近づくことができた帝国こそが、うまく生き延びていくのでしょう。(P250)