とんま天狗は雲の上

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地名の謎を解く

 最近、木曜の夜はNHKの「日本人のおなまえっ!」を喜んで視聴している。その流れで、地名もきっと面白いぞと本書を手に取ってみた。確かに面白い。だが、このような軽薄な関心を超えて、地名の森ははるかに深く、何層にもなって容易に辿り着くことができない様相を呈していた。本書では、最近の平成の大合併等で現れた珍地名に始まり、明治維新律令国家、そしてさらに先、縄文時代にまで遡って、日本の地名に隠された謎を追う。副題の「隠された『日本の古層』」とは、本書の本当の意味をしっかりと示している。

 第一章の最初に、私の生まれ故郷である「蒲郡」の地名のことが出ていた。蒲形村と西郡村が合併してできたというのは蒲郡市民でも知らない人がいるかもしれない。「さいたま市」や「つくばみらい市」などのひらがな地名についても批判的に取り上げている。ちなみに愛知県の「みよし市」は市制に伴い、三好町から三好市への移行を企図したが、既に徳島県に「三好市」があるということで理解が得られず、やむなく「みよし市」としたという事実は本書で書かれていないので、ここに明記しておく。

 しかし地名が大きく再編されたのは明治維新後の政策が大きかった。明治政府が伝統的な村落共同体を解体し、中央集権体制へ組み替えていく過程で、いくつもの珍妙な地名が誕生している。山梨県にできた「清哲村」は4つの大字の漢字の偏や旁を組み合わせて作った地名だという。また付録には、長野県「豊科町」が、6つの村が合併する際に、それぞれの頭の一音ずつを並べて作ったものだと紹介されている。何ともスゴイ。ちなみにこうした面白い地名、珍妙な地名とその由来等は、付録としてまとめられており、軽薄な興味を満たすだけなら、付録を読むだけで足りる。

 さらに、第三章、第四章と進むにつれて次第に時代が遡っていく。日本書紀万葉集に現れる地名。その時代にはまだ日本に独自の文字がなく、漢字を当てていた。地名の音が文字化される中で変容を重ねていく。さらに時代は日本人のルーツに遡っていく。弥生時代縄文時代。日本人は縄文人弥生人に入れ替わったわけではなく、混合し、融合して形成された。それゆえ地名にも、縄文期の地名の痕跡が残っている。さらに縄文人といえども一様ではなく、言葉も地域でかなり異なっていた。それがまた地名に反映しているのではないかと言う。例えば、湿地を示す言葉として、「ヤト」「ニタ」「ヌタ」「ムタ」「クテ」「フケ」「スワ」など様々に分布する。

 地名には日本人の風土、古層が隠されている。筆者が探し求めた地名の謎はこうして日本の古層に辿り着いて旅を終えた。改めて筆者の経歴を見ると、奈良女の理学部を卒業し、奈良新聞の文化面記者を勤め、文筆家となっている。研究者ではない。リケジョである。だからこそ、網羅的に地名周辺を探し求め、多様な分野の研究や専門書を読み、そして本書をまとめた。すばらしい。でもやはりちょっと難しかったかな。地名は時代の古層を幾重にも重ねて現在に至っており、一筋縄ではいかないということがよくわかった。

 

地名の謎を解く: 隠された「日本の古層」 (新潮選書)

地名の謎を解く: 隠された「日本の古層」 (新潮選書)

 

 

○名づけるという行為は、名づけの対象を人間の世界に引きずり込み、意味を貼りつけてコトバで縛ることである。地名は明確な由緒や命名者が特定できないことから、とかく所与のものとして受け取られがちでだが、地名といえども、名づけられしもの。この列島で暮らした人々のコトバによって認識の枠をはめられた名前である。そこには、その名を了解し流通させた人々の心性が消しがたく絡みついている。(P15)

○全国規模で大々的に、昔ながらの地名が官製の地名に変更させられたのは、明治維新後のことである。・・・江戸時代の幕藩体制を解体して、天皇を中心とする中央集権的な国家体制へと脱皮を図っていく中、地方の村を旧態のままにしておいては近代国家にはなりえない。・・・そこで明治政府が行ったのが、“地名の森”の上に隈なく行政の網を掛けるということだった。要するに、明治維新は地名の世界にも大変革を迫ったわけである。(P46)

○声のみで伝えられてきた地名に文字が与えられると、書き取られた表記はその文字自体がもつ力によっていつしか独り歩きを始める。・・・好字二字化という律令国家の国策の圧力で変形させられつつも・・・お上がコントロールできない自由さで、さまざまな偶然をはらんで地名の文字表記や読み方は転変していった。(P107)

○「飛鳥の明日香」のように、枕詞が地名を称える賛詞として地名と一体になって使われているうちに、いつしか「とぶとりの(飛鳥の)」という枕詞の文字が地名に乗り移って、「飛鳥」と書いて「アスカ」と読むようになってしまった・・・今では、「飛鳥=アスカ」「春日=カスガ」「長谷=ハセ」「日下=クサカ」は・・・難読名と意識することすらないほど一般的なものとなっている。しかし・・・改めて眺めてみると、国魂が宿ると古代びとが信じていた枕詞に行き当たり、さらにその基層には、よくもの言う精霊と言葉で交感していた遠い時代の人々の心象が脈々と息づいているのである。(P174)

○蛇信仰をはじめとする縄文的な心性は、その後に現れた異文化の波や時代の奔流にさらされながらもしたたかに生き延びて、無自覚のうちにも今日に至るまで、日本列島に生きる人々の心の深層に脈々と伝えられてきたと首肯できる。私たち現代人の心の基底にも、そうした縄文的な心性が通奏低音のように流れているのだ。(P196)