とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

丸腰国家

 今、日本は、脅威を続ける北朝鮮に対していかに軍事対応すべきかが大きな問題になっている。先日来日したトランプ大統領北朝鮮問題にかこつけて、もっぱら戦闘機や防衛システムの売込みに余念がなかった。日本では非武装中立といえば今や過去の議論、非現実的な妄想といった感じだが、現実に軍隊をなくした国がある。それも積極的永世非武装中立宣言をして、時の大統領はノーベル平和賞も受賞している。それはどうやって達成されたのか。日本とはどう違うのか。様々な疑問と興味を持って読み始めた。

 一言で言えば、コスタリカは米国の裏庭という立地と不安定な中米の政治状況の中で、ある意味、偶然に非武装が宣言され、憲法に規定された。そこにはコスタリカの複雑な政治状況やクーデターなどの事件があったが、それにしても1948年に非武装が宣言されていることには驚いた。しかも中米という不安定な政治状況の国々に囲まれ、何度も軍事侵攻などの危機に見舞われる。しかしそれを巧みな外交で乗り越え、その経験から多くのことを学習し、今やだれもが「軍隊がないことが最大の防衛力だ」と断言するまでに国民意識に刷り込まれ、定着している。第一部「『丸腰国家』コスタリカの真実」ではその過程、その実態について説明をする。

 そして第二部「『丸越国家』をつくる人たち」では、筆者の個人的な経験から書き始める。そこには、ラテンアメリカ人のアイデンティティコスタリカ人にとって「平和」とは何か、軍隊がないことと経済的苦境との狭間に揺れる社会状況などが描かれる。第二部の読み始めは、第一部の付け足しといった感じで思っていたが、第二部があることでコスタリカの現状が立体的に浮かび上がり、厚みが出ている。

 日本がすぐにコスタリカの真似ができるような軽薄なものではない。だが、「平和」とは何か。「外交」とは何か。「国家の安全保障」とは何か。こうした問題について考えるきっかけを与えてくれる。「平和学習」の大きな素材となる。日本にはコスタリカとは違う安全保障の道があることは理解する。だがそれは米国追従だけではないだろう。本当に安心できる平和な国づくりに向けて、日本は何をしたらいいのだろう。今こそ、脅威に怯えたり、煽ったりするのではなく、リアルに考えるべき問題ではないか。

 

丸腰国家―軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略― (扶桑社新書)

丸腰国家―軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略― (扶桑社新書)

 

 

〇「軍隊がないことが最大の防衛力だ」。コスタリカ人たちは誰もがそう断言する。・・・「軍隊がなくても大丈夫なのか?」と尋ねると、怪訝な顔すらされる。・・・彼らは軍隊がなく「ても」大丈夫だと考えているのではなく、軍隊がない「からこそ」安全だと考えているからである。(P40)

〇「積極的永世非武装中立宣言」でコスタリカが乗り切れたのは、非武装であったことが大きい。特に紛争の仲介にあたっては、非武装であることで得られる信頼感は絶大である。喧嘩の仲裁者がナイフを持っていても信用されないのと一緒だ。また、米国までも納得させたのは、コスタリカが民主主義や自由、人権などという、米国自身が建前上大切にしてきた価値観を逆手にとってアピールしたからであった。(P68)

〇紛争における「構図の転換」や「当事者の増加」は、現在の紛争解決学では基本的なスキルともなっている。・・・非武装だからこそ、自国が紛争に巻き込まれた時に他国を自分の味方につけやすいし、他国の紛争に際しても仲介者として入りやすい。こうしてコスタリカの人びとは、非武装であることの有利さを徐々に身につけてゆき、一層「丸腰国家」の重要性を認識することになるのである。(P79)

〇100年ほど前には、メキシコで教育相を務めたホセ・バスコンセロスが、その著書「ラサ・コスミカ」の中で、ラテンアメリカ人の新たなアイデンティティを説く。/この地域にはさまざまな人種や民族が混在し、混血によって新しい「人種」も生まれた。その人種的混沌はラテンアメリカの「後発性」を「先進性」に変える働きをすると主張したのである。つまり、アイデンティティを固有の人種や民族に求めず、逆にその混合によって産まれる「宇宙的人種」の先進性を説いたのだ。(P169)

コスタリカは、どこにでもあるいわゆる「発展途上国」のひとつであり、周囲の国と同じようにラテンの国でもあり、西洋的文化を持った国である。極端な言い方をすれば、「ただ軍隊がないだけの国」だ。(P250)