とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

森へ行きましょう

 留都という知人がいる。この小説の中に出てくるのは、留津とルツ。同じ両親から同じように生まれた留津とルツは、異なる環境の中で、異なる人生を歩んでいく。パラレルワールドな世界。二人の世界に現れる両親も友人も同じ。同性の友人は同じ相手と結婚し、異性の林昌樹はどちらの世界でもゲイだ。

 そして留津は、実質上のお見合いで知り合った俊郎と結婚し、自由のない生活を営んでいく。一方のルツは理系の大学に進み、生物系の研究機関で働いて、いつまでも結婚をしない。そのまま独身で最後まで行くのかと思ったら、40も後半になって俊郎に巡り合い、結婚をする。そして50歳を迎えた2017年までにも二人はそれぞれの恋愛や結婚生活を続け、そして一つの境地に至る。人生は「森を歩くようなもの」。一緒に「森へ行きましょう」。

 実は、この小説に現れる留津・ルツは二人だけではない。俊郎と不倫を続ける琉都、教授として独身を続けるるつ、八王子光男と不倫する流津、俊郎を殺してしまう瑠通、50歳で亡くなってしまうる津。2027年の60歳になった留津・ルツ・琉都・るつ・流津、瑠通のそれぞれの姿を描いて小説は閉じる。60歳には60歳それぞれの人生があり、何となく人生を達観したような気もするが、まだまだ人生は長い。森の中にはまだ何が待っているかわからない。自分自身60歳になってそれを実感する。

 

森へ行きましょう

森へ行きましょう

 

 

〇自分の意志で選択をおこなっているとルツは思いこんでいるけれど、はたしてそれは事実なのかどうか。/無数の岐路があり、無数の選択がなされる、そのことを「運命」というらしいけれど、果たして「運命」は、一本道なのか。左を選んだ時の「運命」と、右を選んだ時の「運命」は、当然異なるはずで、だとするならば、「運命」は選択の数だけ増え続けてゆくのではないか。/(いったい誰が、あたしの運命を決めているんだろう)(P94)

〇恋愛の時にあらわれる感情とはまったく違うものを、夫婦生活は醸成するのではないか。・・・「他人どうしが長い時間一緒にいるのって、とっても不健全。でも、すこし、おもしろい」・・・八王子光男への気持ちは、まっすぐでふわふわしていて、ほんのわずかには濁っているけれど、でもほとんど透明なもの。そして、俊郎への気持ちは、とても濁っていて、曲がりくねり折れ曲がりしていて、ごちゃごちゃしているけれど、掘り進んでいくと、思いがけないものが飛び出す可能性のあるもの。(P386)

〇自分でも制御できないようなどす黒い気持ちや、人に絶対に見せられない嫉妬やみにくい欲望、そんなものが、どんな人間にも、必ずある。でも、人間は、それらをおさえることができるのだ。・・・行動の結末だけ見て、その行動にいたる道筋やこまやかな考えの動きを詮索しないことこそが、人間関係を平和に保つこつなのかもしれない。・・・夫婦だからって、互いのことを知り尽くす必要はなかったのだ!(P494)

〇みんな、森に行っちゃうんだな。ルツは思う。森で、迷って、帰れなくなって、でも、それでも、いつの間にかどうしても森に行っちゃうんだな。/「ね、俊郎さん、今度は二人で一緒に、同じ森に行きましょう」/ルツはささやいた。俊郎が、無言でうなずく。もうルツの手は、俊郎と同じくらいあたたかくなっている。森へ行きましょう。明日、その言葉を「なんでも帳」に書こうと、ルツは思った。(P495)

〇この日、留津は久しぶりにパソコンの「雑多」のファイルを開き、こう打ち込む。/「セックス、軽んずべからず」/「でもまあ、セックスは万能ではないです」/半世紀も生きてきて、まだこんな初歩的なことしか自分がわかっていないことに、留津はびっくりする。あとどのくらい生きれば、深い智恵を持つ人間になれるだろうかと、天を仰ぐ心もちである。(P498)