とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

地方自治講義

 「今さら買ってどうするんだろう」と思いつつ、昨年の冬に購入して以来、ほぼ1年、積読状態で放置していた。正月休みにようやく読み始めると、これがけっこう面白い。そもそも自治体は国とは独立した政府であるが、国は事あるごとに自治体に仕事を移譲し、しかし権限と財源は保持して、自治体を手先として使おうとしてきた。数度の市町村合併はその方策の一つだ。しかも平成の大合併は、総務省ですら積極的でなかったにも関わらず、政治家が先導して合併が進み、結果として安倍首相が演説で先進的な取組として紹介した市町村は全て非合併市町村だった。合併した市町村は疲弊し、ますます自治体としての活動ができなくなっている。

 本書は福島で行われた連続講座が基に、「自治体には3つの顔がある」、「地方自治の原理と歴史」、「公共政策と行政改革」、「地域社会と市民参加」、「憲法地方自治」、「縮小社会の中の自治体」の6講に分けて、地方自治の基礎概念や歴史等について論じている。明治時代から続く自治体と国の対立の歴史など、興味深い記述も多い。中でも憲法の作成過程における国とGHQとの交渉の過程は興味深い。第6講では人口縮小時代の自治体のあり方について論じているが、「自治体のミッションはそこで暮らしている人たちが今後も暮らしていけるようにすることです」(P271)という文章は、まさに正論で心強い。サッカーに例えれば「自治体はディフェンダーです」という言葉は、サッカー愛好者からすれば、非常によく理解できる。そして国も実は、「国民の暮らしを支える」ことが第一ミッションという点において、地方自治体と同じではないのかとも思う。自治体職員にはぜひ読んでおいてほしい一冊だ。

 

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

地方自治講義 (ちくま新書 1238)

 

 

〇実は「分権」という言葉も明治からあった。・・・当時から国は自治体に仕事を移譲することには積極的だった。・・・しかし権限と財源は手放さないから、仕事を移譲されればされるほど自治体は国に伺いを立てなければならなくなります。こうして「分権」という名のもとに仕事が移譲されるとそれが集権化を招く構造になる。このようにして日本的な地方自治制度が形成された。(P080)

地方交付税の算定方法が複雑になってきた要因の一つは、自治体に対する国の政策誘導として使われていることにもあります。本来、地方交付税の使い道は自治体の裁量に任されている。・・・ところが「歳出特別枠」と称する割合が増えている。・・・学校の成績が上がったらご褒美をあげるという家庭はあるかもしれない。しかし普通は学校の成績が下がったら塾に通わせるとか・・・成績を上げるために経費が増えるはずです。・・・条件が悪化したらみんなで手伝わなくてはいけないのにそれを放置して、条件の良くなった地域に加算をする。(P128)

〇歴史を振り返れば、もともと行政機構こそが市民からのアウトソーシングでした。しかし行政機構が肥大化することによって、市民は行政の客体となり、いつのまにか行政機構から繰り出されるパスを受けるだけの存在になってしまった。しかし・・・都市型社会において、市民を「対象市民」に押しとどめ行政の肥大化を維持しようとするのは事実上困難です。だからこそ「公務市民」的要素が喧伝され、行政からのアウトソーシングという流れになるのは必然だが、そもそも行政機構こそが市民からのアウトソーシングという観点から見れば、行政からのアウトソーシングも「市民住民」が統制すべきなのは当然です。(P153)

地方自治の部分については、マッカーサー草案のほとんどを日本側が跳ね返している。唯一、GHQの強いこだわりがあった知事公選だけは日本側が受け入れていますが、その他は詐欺まがいの手法を駆使してまで、日本側は自分たちの主張を貫いた。そういう意味では憲法改正論の一つの根拠である「押しつけ憲法論」はここでは当てはまりません。(P229)

〇自治体のミッションはそこで暮らしている人たちが今後も暮らしていけるようにすることです。経済成長や雇用創出という考え方も認めないわけではないですが、それは自治体の主要なミッションではない。・・・それよりは、少子高齢化の条件でも暮らし続けていけるようなしくみづくりに投資したほうがいい。・・・全国でたくさんの人たちがチャレンジしている。そういう人たちが地域のフォワードとすれば、自治体はディフェンダーです。敵の攻撃をしっかり跳ね返して味方の攻撃につなげる。・・・人口減少化の自治体はこうあるべきではないでしょうか。(P271)