とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

三丸藩公記(その2)

 あれは三丸藩で奉公を初めて間もない頃、突然藩主に呼び出され、「最近、徳川家では『働き方改革書』なるものを検討していると聞く。ついてはわが藩に照らした原案を作ったので意見を聞きたい』と言われた。そもそも地方のそのまた地方の小藩に過ぎない三丸藩で『働き方改革書』なるものを作る必要があるのか理解に苦しむが、その内容もまた幼稚で意味がない。そこで「私がこの藩で奉公を初めてまだ短期間ながら、これまで見てきた課題などを勘案すればこうした内容にすべきでしょう」と大部の建白書を差し出したところ、「徳川家でもまだ検討中と聞く。拙速にわが藩の改革書を披露する必要はなかろう」と原案をひっこめた。

 三丸藩では、城下で蕎麦屋などが軒を連ねる小路がぬかるみ、土塀も破れているところが目立つようになってきた。そこで補修工事を行うこととし、その内容を造作奉行与力の小沢が説明したところ、「この小路には改修後にふさわしい名前を付けねばならぬ。ついては『味小路』などどうか」と言う。「突然どうかと言われても。一度考えてみます」と答えると、次は「この小路に面する店屋も一緒に改修させろ」と言う。「いやそれも突然のこと。各店の主人と相談します」と答えた。

 それで小沢が各店主に改修を持ち掛けたが、「改修費は藩で出してもらえるのか」「改修中の休業補償はもらえるのか」と言い出す。各店主は改修を渋っていたと殿に伝えると、「そうか? 蕎麦屋本家の主人は『道普請するなら同時に店の改修もしたい」と言ってたぞ』と答える。店主に確認すると、「いや、あれは話を合わせたまで。そんな余裕はない」と邪険な返事。すると「あそこの店主は雇われ店主だからダメだ。自分が本家に一言言ってこよう」と言う。しかし結局、蕎麦屋は改修を行わなかった。

 一方、小路の名称の件。与力の小沢が城内の家来にも名前付けの得意な者がいるかもしれないと、名前を募るビラを作成し配ったところ、殿がこれを見て激怒。小沢与力を呼び寄せ、「『味小路』に勝る名称はない。この藩内のことは自分がもっともわかっているのじゃ」と叱責。すぐにビラを回収するように命じた。実は、最初に丘本殿が名称のことを口にした時に私も殿に面会し、「広く藩民から案を募集したらどうか」と進言したが、その時は「いや、それもけっこうな案ではあるが、小沢与力に預けたので、彼らの対応を待ちたい」と言っていた。結局、自分の考案した名前を付けたいだけのことだった。

 ちなみに後日談。改修も終わった後の朝礼の訓示で、名称がいかに大事か、「味小路」という名称はいかに優れているかと自画自賛した後、突然、「『味小路』の立て札を随所に立ててもらったが、どうも高台の上からはよく見えない。高台からも見える大きな看板を取り付けよ」と言い出した。それはあまりに無粋。邪魔。しかし言い出したら聞かない。「しばし検討の時間を」と言えば、「明日にも設置しろ」と言い出す始末。結局、与力で相談し、のぼり旗を立てることにした。これならいつでも取り外すことができる。