とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

義父が亡くなった

 スーパームーン皆既月食があった翌朝、長く療養中だった義父が息を引き取った。この週末、妻の実家までクルマを走らせ、通夜・葬儀を済ませ、昨日、帰宅した。

 義父は大正15年に生まれ、戦争で混乱した青春期を過ごした後、東大へ進学。機械メーカーに就職し、50代半ばに経済事件のあおりを受けて転職したが、転職後の会社でも精密機械の分野で成果を上げて、晩年には博士号も取得した。自宅では食事の時間以外はほとんどパソコンの前に座っており、自分史などを綴ったCDを作成して私もいただいたりした。

 3年ほど前に下血して入院して以降は、療養型病院に転院したが、自宅に帰ることなく息を引き取った。朝、車いすに乗って食堂で朝食を食べ、ベッドに戻ってしばらくして看護師さんが巡回した時には既に亡くなっていたという。安らかな死に顔は苦しむことなく亡くなったのだろうと思う。昨年秋からは食事に時間以外はベッドで寝ていることが多く、正月にお見舞いに行った際も、寝ながら少し言葉を交わした程度。亡くなるのも時間の問題と家族一同、思っていたので、それほど大きなショックはない。それでも電話で連絡をもらい、翌日の準備をしていた時には、妻も精神的にかなり落ち込んでいた。

 私の父に連絡をしたら、「自分も葬儀に行く」と言い出した。86歳になっても趣味の写真撮影のため、未だにクルマで遠出を厭わない。250㎞先の葬儀に、一人でクルマに乗って駆け付けようというのだ。近くに住む妹に電話をして、諦めるよう説得してもらった。やれやれ。

 通夜・葬儀は義弟がしっかりと対応。通夜の日のお昼過ぎに実家に着いた時には既に全て段取りも決まり、粛々と進められた。義父の兄弟もすべて他界し、その子世代の方々が数名弔問された。初めて会う方も多く、控室や会食の場で交流できたのはよかった。義母の妹夫婦が小淵沢に住んでおり、まだ私たちが若い頃、八ヶ岳などへ行ったついでに何度か訪れたことがあった。「また今度いらっしゃいよ。待ってるわ」と言っていただいたのは嬉しかった。春・夏になったらぜひもう一度行きたい。

 葬儀の後、義弟と妻が墓のことなどで話し合っていた。義母が我儘を言って困っているという。覚悟はしていたとはいえ、突然のことで、考えること、決めなければいけないことはまだまだたくさんある。私は所詮、近くにいるだけの立場だが、少しでもサポートできればと思う。父のことを思いつつ、そんなことを考えていた。