とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

金曜日の本

 ごく薄い本である。125ページ。かつ小判で文字も大きい。だから一気に読んでしまえる。内容も筆者の自伝的エッセイと短編小説が一つ。エッセイは少年時代を振り返るもので、読みやすい。私も同じようなことがあった、同じように感じた、と読みながら自分の少年時代を思い返す。「中古の文机」とか「タイガーマスク」とか。でも、私よりも5歳ほど若いにも関わらず、ビートルズに嵌まっていたとはやはりすごいな。

 自伝的エッセイということで、過去を振り返るからか、逆に「未来」について考える記述が目に付く。付属する小説「窮鼠、夜を往く」も、窮鼠くんが未来へ向けて旅立つ話だ。そして本との関わりについても。「本を買うというのは、『未来と約束すること』」というのは面白い。でも私は本を借りても、わずか2週間だが、近未来の約束をしたように思う。というか、本を買うと、未来との約束を反故にすることも多いし。

 吉田篤弘らしいどこか浮遊感のある文体で、気持ちよく読み進められる。でもどうして「金曜日」なんだろう? 「金曜日の本」と見出しの付けられた文章には、「本」のことは一切出てこないのだけれど・・・。

 

金曜日の本 (単行本)

金曜日の本 (単行本)

 

 

○夕方には何かしら不思議なことが起きた。路地裏には夕方に咲く赤い花があり、花を摘んではその甘い蜜を吸った。吸ったあとの赤い花弁がアスファルトに点々と散り、その路地の突き当りには防空壕がのこされていた。網の向こうに暗いほら穴が口をあけていた。(P25)

○何かのはじっこのようなところにいると、それだけで居心地がよかった。そのことに気づいたのは運動会の最中に忘れものを取りに教室に戻ったときだった。/校庭からにぎやかな音楽が響いて歓声も聞こえた。が、校舎の中に入ると喧騒は遠のき、静まり返った廊下を歩いているうち、このままずっとここにいたいような、早く立ち去りたくないような、何とも云えない妙な思いになった。(P26)

○本というものは、どうやら「時間」に関わりがある。本は「いま」から前の時間に書かれてここにあり、「いま」から後の時間―つまり未来の時間に読むことになる。/本を買うということは、その本を「未来に読む」というひとつの約束のようなものを買うことだった。・・・本を買うというのは、「未来と約束すること」なんだと気がついた。(P69)

○どういうわけか、未来はもう決まっていると思っていた。それがどんなものであるか知らないけれど、自分の未来は遠いところにもうあって、動かすことはできない。誰かに教わったわけではなく、いつのまにか、そう信じていた。/だから、未来に対する不安はほとんどなかった。遠いところへ旅することと同じだと思っていた。(P85)

○わたしは結局のところ、世界というものを知れば知るほど哀しい。わたしは所詮、この世界のいちばん底辺を生きるもので、この世界を運営しようとあがいている人間が・・・あれだけの時間と労力を費やしても、ひとつも大人になっていない。いつまでも子供のままだ。/しかし、仮にわれわれ鰐が世界を牛耳ることが出来たらどうだろう? おそらく結果は同じだ。だから哀しい。(P105)