とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

福祉の世界・建設の世界・忖度の世界

 昨日、公的住宅を活用した福祉系施設と高齢者向け住宅が混在した住宅施設の見学会があった。福祉系施設・高齢者向け住宅、それぞれの会社の方から説明等をしていただき、質疑応答などもあったのだが、福祉系施設を説明した団体の方から、終了間際に突然、公的住宅を所有・管理している公的団体に対する批判が飛び出し、びっくりした。たまたまその公的団体のOBの方とその団体を管轄する行政の方がいたので「伝えておきます」と返事をしていたが、終了後、そのOBの方と一緒に現地を確認に行くと、公的団体が簡単には対応できない問題もあるようで、「仕方ないのではないか」という感想を持った。あわせて驚いたのが、福祉団体の方から、「公的住宅団体の長に就任している人は、かつて福祉部局のトップにいた人で、彼はよく理解しているのだが、下の人間はダメだ」という発言があったことだ。私は逆に、住宅団体や福祉部局の中での彼(トップの人)の批判的な噂ばかりを聞いていた。どういうことなのかとその後しばらく考えた。

 そこで思ったのだが、福祉の世界では「行政に対しては恫喝などをしないと動かない」というのが半ば常識になっているのではないか。「恫喝など」の中には、組織のトップへの直訴や議員の口利きなども含む。たぶん、福祉の窓口に来る人はみんなかわいそうな状況を抱えている人ばかりで、一方で行政には、予算的なしばりや制度上の問題もあるため、通常の規定どおりの状況であれば問題はないのだが、少し無理な案件などがあると、行政の窓口でストップする。その時に、恫喝や口利きなどが効を奏する場合があるのだろう。また、福祉団体等の側には、たとえその裏に利権や欲得があったとしても、「かわいそう」という状況が「錦の御旗」になるので、そのことを精一杯主張する。たぶんそういう状況が一般的にあり、福祉団体などは行政に対して、恫喝や批判が習い性になっているのではないだろうか。

 一方、私が長らく所属してきた「建設の世界」では、行政と建設業者との関係は発注者と受注者の関係なので、業者側から高圧的に出ることは少ない。時に議員を使った口利きや理不尽な要求をしてくるエセ同和団体などもあるが、基本的に行政側の方が強い立場なので、きちんとした説明と断固とした対応が常識だ。もちろん行政側の無思慮ということも多いが、その場合でも、業者側から陳情や営業といった形で考えや思いを伝えることが一般的だ。

 また、最近何かと話題になる「忖度」だが、昨日、何気なくTVを観ていたら、橋下徹が「役人は政治家に忖度するのが当たり前」といったことを主張していた。あまり見たくもなかったのですぐにチャンネルを変えてしまったが、確かに一理ある。最近は、忖度という言葉にすっかり悪いイメージが付いてしまったが、本来は「言わんとすることを理解する」ことで、そもそも政治家は必ずしもその分野の専門家ではないことも多く、そうした場合にも、政治家が持ち込む住民からの要望や問合せに対して、言わんとすることを忖度して対応することが行政の側には求められる。

 もちろん、理解した内容に対してどう行動するかは、制度等の縛りがある中で、公平性や合理性など判断する必要があり、森友問題などはその行動に問題があったということだが、忖度そのものが悪いわけではなく、逆に行政の現場では忖度こそ求められるのではないかと感じた。

 ということで、「福祉の世界」「建設の世界」「忖度の世界」はそれぞれの習慣や常識の中で成立しており、それをはみ出して行動されると、時に大いに驚く、というのが昨日経験したことの意味ではないかな。そんなことを思った。