とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

頼りにならない上司

 先日の「次元を変えて客観的に自分を見る」は、ほとんどYさんへの公開答弁だったが、後日「とても私には無理です」と返事をされてしまった。それもわからないではないが、PS.で書いたことについて少し補足。

 ずいぶん昔、たぶん30代後半の頃だったと思うが、「上司としての部下との接し方」といった類の研修があり、その時の個人発表で、「上司としてあまりに完ぺきではなく、ある程度できない姿を見せるのも必要」といった発言をした覚えがある。その時は講師の先生に軽く無視をされた。でも結局、私は定年まで「できない上司」であり続けたような気がする。

 もちろん多少は仕事が「できる上司」の部分もあり、「○さんは言葉遣いも当たりもやさしいけど、仕事で部下に求める水準は高く、厳しい」とも言われた。この会社に来てからも、個々の業務については、当然これまでこの仕事をしてきた人たちの方がよく知っているし、優秀だ。私が彼らに示せるのはとりあえず学歴や職歴と人柄しかない。しかし、○歴といった昔話をしても鬱陶しがられるだけなので、せめて、やさしく明るく接するようにしている。というのは、性格そのままだが、それだけでなく、どこか「この人は違う」と思わせることも必要かなと思った。

 そういう意図もあったし、また比較的ヒマだったこともあるが、9月に地元の商工会議所が募集していた「市を元気にするアイデア」募集に応募した。また11月には、近隣で整備中の市民交流施設の愛称募集があったので、これにも応募した。そして見事、前者は最優秀賞。後者も、私の提案も含め、3名の提案がミックスされた名称に決まった。

 2月に商工会議所のイベントがあり、私の会社にも動員依頼があって、数名の社員が出席したが、それまで私が表彰式の受賞者として壇上に上がることは伏せておいた。翌日の朝礼で、出席した社員から「びっくりした」と話があって、してやったり。先週の日曜日には市民交流施設の開所式があり、その場でも命名者として紹介された。社長が出席していたが、翌日、そのことは言わなかった。ダメじゃん。社内的にはそんなことをしなくても、私の能力の程度は少し仕事を一緒にやっていればわかってもらえたとは思うが、「やさしいだけじゃなく、意外な一面もある」と思ってもらえたかな。

 上述の研修の話、そして先日のPS.は、「頼りない上司くらいがちょうどいい」という話だが、頼りなさと頼り甲斐のちょうどいいバランスが大事かもしれない。Yさんについて言えば、非常にできる人なので、ついつい部下に率先して仕事をしたり、助言や指示をしてしまいがちじゃないかな。それで逆に部下から敬遠されたり、仕事を押し付けられたりしているように見える。加えて責任感も強いから、ますます仕事が重荷になっている感じ。

 とは言っても、性格は人それぞれで、結局は本人が納得できる方法で解決するしかない。その方策の一つが私の意見を聞くということだったのだろうが、力になれなくてごめんね。いい加減だけど無責任じゃない。ズボラだけど真面目。天然ボケだけど有能。支離滅裂だけどバランスが取れている。そんな上司だったのではないかと自負しているのだが、ダメかな。