とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

月の満ち欠け

 昨年の夏、本書の書評を読んだ時には、もっと幻想的な、生と死の間を揺れ動く、どちらかと言えば難しい小説だと思っていた。昨夏に予約をして、ようやく順番が回ってきた。読み始めると、思っていたよりもずっと現実的な話。何不自由ない会社員の家庭で、娘が少し奇妙な言動を始めた。そして妻もまたそのことを言い出した。「精神を病んだ」と主人公・小山内は感じたが、その後、突如、妻と娘が事故に遭って死亡する。

 そして15年後、三角という男が現れて、三角と、愛人だった瑠璃という女に関する長い話を始める。瑠璃は「あたしが何回神でも生まれ変わる。・・・あたしは月のように死ぬ。・・・そして未練のあるアキヒコくんの前に現れる」(P148)と言って、その一週間後、その女は地下鉄の事故で亡くなった。そして、その後しばらくして、小山内の家に瑠璃という娘が生まれる。その娘も小山内の妻とともに交通事故で亡くなった後、今度は小山内瑠璃の教師だったという小沼という女性が希美という娘を生んだ。しかし実は夢で「瑠璃」と名付けるように告げられていた。

 希美は、三角の愛人だった瑠璃の夫・正木とともに三角に会いに行く途中で、警官に追掛けられ、事故で死ぬ。そして次の「るい」は、小山内瑠璃の親友だった緑坂ゆいの娘となって生まれた。緑坂親子は、小山内瑠璃が描いた三角哲彦の肖像画を確認するために、小山内と会う。そして物語が始まる。

 錯綜する人間関係。そしてその背景にある「生まれ変わりを思わせる事例」。本書は、参考文献に挙げられている、イアン・スティーヴンソン著「前世を記憶する子どもたち」からインスピレーションを得て書かれたのだろうか。「生まれ変わり」を題材にして現代を舞台に小説を書いたらこうなったという感じ? いや、「前世・・・」で取り上げられている事例は、もっと昔の前世だったりするようだ。「生まれ変わり」をエンターテイメントにして書いた小説という感じ。直木賞受賞というのも納得できるし、それなりに面白い作品だ。

 

月の満ち欠け

月の満ち欠け

 

 

○いまこうしてここに自分がいるのはひとえに偶然のたまものだ、と他人事のように思う・・・自分は見えないものの手でここに連れて来られた、故郷の八戸から千葉の稲毛まで、と小山内はときおり考える癖があった。(P19)

○「ちょっと死んでみるって、言い遺す気持、なんだか、わからないでもない。・・・誰ひとり死後の世界は知らないわけだから。死後の世界って、そんな世界があるのかないのかも謎で、・・・だから試してみる手はあるよ。・・・死はふつうを超越してるから、どんなことも絶対にないとは言い切れない。・・・もしかしたら、別の人間に生まれ変わること、それが死、なのかもしれない」(P146)

○神様がね、この世に誕生した最初の男女に、二種類の死に方を選ばせたの。ひとつは樹木のように、死んでも種子を残す、自分は死んでも、子孫を残す道。もうひとつは、月のように、死んでも何回も生まれ変わる道。・・・人間の祖先は、樹木のような死を選び取ってしまったんだね。でも、もしあたしに選択権があるなら、月のように死ぬほうを選ぶよ」/「月が満ちて欠けるように」/「そう。月の満ち欠けのように、生と死を繰り返す。(P149)

○受け入れる、という言葉。/それを小山内は「諦める」という意味でさんざん口にした憶えがあった。しかも自分に対してではなく、いつまでもくよくよしている母親に向かって、・・・妻と娘が死んだときにも、父親が死んだときにも――残った者は、いままでとはすっかり変わってしまったこの現実を受け入れて、生きていくしかないのだと。だが、三角哲彦も緑坂ゆいも、もちろん緑坂るりも、そして正木竜之介も、まったく別の意味で同じ言葉を使っている。(P287)