とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史

 司馬遼太郎の作品を吟味し、歴史的事実と虚構とを腑分けしつつ日本史に迫る本かと思っていたら、全然違った。司馬良太良の代表的な作品、「国盗り物語」「花神」「坂の上の雲」「この国のかたち」などを取り上げて、戦国時代、幕末、明治、戦前の各時代を司馬遼太郎はどう捉えていたのかを学ぶ。だから「『司馬遼太郎』で学ぶ日本史」というよりも、「『司馬遼太郎』が考えた日本史」といった方が正しい。

 磯田氏も司馬遼太郎を楽しく読んできたことがわかる。司馬遼太郎だけでなく、海音寺潮五郎吉村昭池波正太郎山田風太郎などの歴史小説や時代小説もよく読んでいる。さすが歴史家。ちなみに、歴史文学には、史伝文学、歴史小説、時代小説の3種に分けられるという序章の記述も興味深い。司馬遼太郎が書いたのは歴史小説。そして司馬遼太郎の多くの小説は、高度経済成長という時代背景に文庫本という形で大量に発行され、日本人の歴史観を作った。

 私もこれまで多くの司馬遼太郎作品を読んできた。中には二度・三度と読み返した本もある。中でも最も影響を受けたのは「街道をゆく」のシリーズではなかったかな。今ではもう司馬遼太郎の新しい作品を読めないことは寂しい。が、読み損なった作品を今、改めて読もうという気にはなれない。やはり司馬遼太郎の作品は、当時の時代背景と一体となって、そうした時代背景ゆえに書かれたという気がする。その意味では、磯田氏には、司馬史観を説明するだけでなく、そこから一歩先、その後の歴史研究で明らかになったことまでも踏み込んで書いてほしかった。司馬作品は懐かしいけれど、今は磯田史観をこそ読んでみたい。次の作品に期待しよう。

 

「司馬?太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

「司馬?太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

 

 

○司馬さんがこの物語で描きたかったのは、その後の日本、あるいは日本人の在り方のふたつの側面だと思います。/ひとつは、合理的で明るいリアリズムを持った、何事にもとらわれない正の一面。そしてもうひとつは、権力が過度の忠誠心を下の者に要求し、上意下達で動くという負の一面。・・・この二面性を持ったものが・・・戦国末期の日本にできあがりました。司馬さんは、自分に拳骨をぶつけてきた日本陸軍の「先祖」が濃尾平野から生まれてくる過程を「国盗り物語」で描ききったのです。(P54)

○聴衆の陸軍で言えば、第一段階の予言者が吉田松陰、二段階の実行家が高杉晋作、そして最後に・・・革命の果実を受け取るのが、陸軍の元帥となる山県有朋です。・・・重要なのは、革命には最初に理想主義を掲げる予言者が現れ、次に革命の実行家が現れ、最後に、その革命の果実を受け取る権力者が生まれるのですが、そのときにはもうすでに革命は腐敗が始まるということです。(P68)

○リアリズムと合理主義に従ってことをなすべきだ、なさなければならないという強いメッセージを、司馬さんはこの作品を通じて訴えたのだと思います。公共心が非常に高い人間が・・・合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを日本人は成し遂げるのだというメッセージと、逆に、公共心だけの人間がリアリズムを失ったとき、行き着く先はテロリズムや自殺にしかならないという裏の警告メッセージを、司馬さんは、私たちに発してくれているのではないかと思います。(P139)

○司馬さんは・・・明治という時代を江戸時代の収穫時期ととらえましたが、昭和前期という時代をよく見ると、その収穫した実が腐っていく過程にも感じられます。腐敗の原因は、明治にあったのです。日本を「鬼胎」にした正体―それは、ドイツから輸入して大きく育ってしまったもの、すなわち「統帥権」でした。(P164)