とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

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 直木賞作家・西可奈子を初めて読んだ。本書は昨年の本屋大賞にノミネートされて、紹介されていた。結果的に7位だったけれど、10位までに読んだことのある本は1冊もないので、評価が適切だったかどうかわからない。書評などを読んで、これは読みたいと思った。読み終えた感想は・・・もっともっと書き込めたんじゃないかな、という感じ。

 アイはアメリカ人と日本人の両親のもとにもらわれてきたシリア人の養子。しかも裕福で、成績もいい。そんな恵まれた状況だからこそ、どうして自分が選ばれたのか。自分は本当にこの世に存在していいんだろうか。家族の誰とも血のつながりのない、ファミリーツリーから一人浮遊した自分の存在に不安感を持つ。そして数学の先生が何気なく言った一言、「この世界にアイは存在しません」。

 この場合のアイは「i」、虚数。だがアイは「I」でもあり、「愛」でもある。アイの親友のミナは「皆」、結婚相手のユウは「You」かな?という書評を「Bookarium」のニシマツさんが書いていたけど、そうかもしれない。この一言に強い衝撃を受けたアイは、自分の「存在」について考えていく。

 妊娠し、これでようやく世界とつながる、存在理由を見つけたと思ったのに、流産で流してしまう。一方でミナは、アイの初恋の人と一夜限りのセックスで身ごもり、堕胎したいと話す。強いショックと混乱の中で自暴自棄になるアイだったが、ミナのメールとユウの支えを得て立ち直り、ロスアンゼルスに住むミナに会いに行く。

 それにしても、ミナといい、ユウといい、そして両親も、皆いい人ばかり。その中でどうしてここまで自己否定するのだろう。もちろん、シリア人で養子という孤独はわからないでもない。私の父も養子で、最後まで実の両親はわからないままだったが、父は父なりに、乗り越えてきた。それはやはり母と結婚したのが大きかったのだろうか。人とのつながりの中で、人は自分の存在感を確認し、承認していく。それは養子だろうが、愛溢れた家庭に育とうが、関係ないような気がする。愛溢れる家庭で育っても、孤独な人は孤独。もちろん、育った環境は大きく性格を左右するけれど、結局最後は一人ひとりの気の持ちようであり、人に囲まれて初めて自己承認感を得るのではないかな。

 ということで、本書は「自己承認」を巡る小説。虚数「i」が、多くの愛に包まれて、「I」となる話である。

 

i(アイ)

i(アイ)

 

 

○私も彼らも日本にいなかったし、地震の被害にも、原発の事故にも遭わなかった。でも、じゃあ私たちに祈る権利はないって、アイは思う?」・・・「思わない。」/「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを、大切にすべきだって。」(P157)

○自分がいるのは、見たことのない世界だった。男が、女が、子どもたちが、国を変えるために全力で声を出している。大声を出している。/アイの体に、新しい血液が流れたようだった。それは命の、家族の血液ではなかったが、アイはここにいる皆と、大きなへその緒で繋がっているような、そんな気がした。アイは皆と一緒だった。皆と声をあげ、皆と拳をあげた。(P169)

○アイは自身の生まれた理由を知りたかった。ずっと知りたかった。誰かの幸福を踏みにじり、押しのけてまで自分が生まれた理由を知りたかった。その理由がここにある。まだ数センチにも満たない命の始まりが、私がこの世界にいるための証なのだ。/私はこの世界にいていいのだ!/アイはそれから、何度も何度も腹を撫でた。アイの掌は、まだ見ぬ生きものの気配を、しっかりととらえていた。(P204)

○「会いたいという気持ちと、理解出来ないという気持ちのふたつがあるなら、僕は会いたいという気持ちを優先させるべきだと思う。・・・ちゃんと顔を見て、話し合うことを選ぶべきだ。」/命が脅かされることのないこの夜は、紛れもなく奇跡だ。/「理解出来なくても、愛し合うことは出来ると、僕は思う。」(P273)

○両親に、ミナに、ユウに愛されたから私があるのではない。私はずっとあった。ずっと、ずっとあった。だから、私はここに、今ここにあるのだ。そして、そんな私を、この私を、両親が、ミナが、ユウが愛したのだ。先に私はあった。存在した。そして今も。/アイはここにある!/世界には間違いなく、アイが存在する!(P297)