とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

逆さに吊るされた男

 田口ランディは少し気になっていた作家。本書がオウム真理教の死刑囚との交流を題材とした小説ということを知って、読んでみた。モデルとなっているYこと、林泰夫との交流はもう途絶えてしまったのだろうか。小説では最後に「20**年 Y 死刑執行」と書かれて終わる。だが実際にはまだ死刑は執行されていない。

 だが、オウム真理教の真実を暴こうという小説ではない。真実は見えない。それを各自が勝手に解釈しているだけ。信者自身はそれぞれ、目的をもって出家し、それぞれの思いをもち、状況にしばられ、混乱し、行動した。また、それを解釈しようとした者たちも同様にそれぞれ考え、感じ、分析した。そしてその内容は人によって大きく異なる。

 終盤には「不条理の力」という言葉もあるけど、どうしようもなく追い込まれて、そうせざるをえなくなった。別の選択肢もあったのに、それを選んでしまった。それを何故かと今問われても、説明できない過去。結局、オウム事件とは何だったのか、などという問いに答えは一つには収束しない。オウム事件だけでなく、すべての出来事が、なぜそうなったのか、わからない。そうならざるを得なかった状況があり、そうなった。(あれ、これって、日大アメフト事件に通じるものがある?)

 田口ランディはこれまで直木賞候補になったことはあっても、受賞したことはない。これが大衆文学なのか。純文学との境がよくわからない。ただ、自分に正直に表現を重ねていることはわかった。これからも読み続けるかどうかはわからない。田口ランディを知るには、彼女のエッセイを読んだ方がいいのかもしれない。普通さがすごい、という気がする。

 

逆さに吊るされた男

逆さに吊るされた男

 

 

○死刑になるときは、執行のボタンは自分で押したいです。あるいは足元の扉は開けておいてもらって自分からそこに飛び込みたいです。ロープも自分で首にかけさせてもらいたいです。刑務官の人に、人を殺すという負担をかけたくないんです。もう誰にもなんの負担もかけたくない。誰にも苦しみを与えたくない。そう思います。(P039)

○オウムは解脱を目指している出家者の集団でした。目指しているのだから、まだ解脱していないんです。解脱したいというのも、欲望ですからね。すべてを捨ててでも解脱したいという強烈な欲望を剥きだしにした人たちが、欲望を捨てるために修行していた、それがオウムなんですよ・・・その欲望を修行によって消すことに専念するのが出家です。(P070)

○「アサハラ」、人間の潜在意識になる神話的な原形。どうして誰もこの点を指摘しないのかしら。/太平洋戦争に突き進んだ軍部とオウムはそっくりだ。嘘と猛進、そして破滅。・・・かつて大日本帝国が犯した愚行を、オウム真理教はそっくり再現して見せてくれた。・・・過去を葬り去る術すら失った戦後世代の、暗い心の深みから現れたものが、怪獣アサハラとオウム真理教だとしたら、オウム真理教は、ゴジラナウシカと同じように、潜在化した大衆の不安から創造され、大衆によって消費されたのではないかしら。(P138)

○私は、遅れてきた信者なの。/ここではないどこかがあると思った。ここは外側で、内側があると思った。その内側には、本質と繋がっている生の実感があると思った。だから内側に入ってみたかった。でも、事件の内側には私が期待していたようなものはなかった。だってぐちゃぐちゃなんだもの。・・・たぶん、麻原彰晃だって、なにもわかっていない。・・・だから私は、自分で創造した。・・・でも、それって、真実でもなんでもない。(P209)

○裁判という場で初めて、長時間のまとまった証言を聞いたとき、ある微妙なニュアンスが掴めた。/あなた方の、想像を絶する、ナイーブさが伝わってきた。/みんな、それぞれに崇高な目標をもっているのに、状況に巻き込まれて脱線していくの。不条理の力ってすごいのね。きっと、戦争が始まる前の日本も、あんな感じだったのかも。(P222)