とんま天狗は雲の上

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神になりたかった男 徳田虎雄

 名古屋徳洲会病院はすぐ近くにあり、7年ほど前には「尿管結石さわぎ」で書いたように、救急車で運ばれたこともある。つい先日も膵嚢胞の検査で診察を受けたばかりだ。一方で数年前、徳洲会事件が大きくマスコミを賑わせていた。猪瀬元都知事が辞任する契機になったのも徳洲会事件の一端。しかしそんな事件とは一切関係ないかのように、その後、名古屋徳洲会病院は移転・建替えが行われた。徳洲会は今、どうなっているのだろう。図書館で偶然、本書を見かけた。興味を持って読み始めた。

徳田虎雄とは、いったい何者なのか。/「理事長」あるいは「徳田先生」と呼ばれた男は、本人のみならず、彼と真剣にかかわったひとり一人の内面に存在していた。固有名詞を越えた、いわば「共同幻想」として徳洲会を支配したのだ。・・・白衣の聖性と経営の俗性を溶け合わせるには「人殺し以外は何でもやる」裏の差配も求められた。・・・形の違いはあれ、徳洲会的なものはわれわれの社会に散在している。徳田と側近たちの軌跡は、高度成長期以降の日本の自画像である。(P11)

徳洲会を時代背景とともに複眼的に眺めれば、興亡の物語は徳田の磁力に引きつけられて集まった医師や看護師、事務型の職員たちの群像劇としてくり広げられたことが鮮明になる。群像劇の登場人物たちは、ときに影法師のように徳田につき従い、またあるときは徳田と激しく衝突して訣別した。激しい軋轢をエネルギーに変えて徳洲会は膨らんでいく。徳洲会は徳田個人の創造物ではなく、ひとつの社会運動体であった。(P31)

 

 冒頭「まえがき」と第1章からの引用である。確かに、徳洲会が誕生した際には、その患者本位の理念に崇敬の念を抱いた。第1章では、こうした心を揺すぶる感動の物語が続く。だが、1970年代後半、新規開設を計画した病院が地域の医師会の反対に会う中で、政治の力を痛感し、政界への進出を目論むところから、徳洲会の変調が始まる。第2章「けものみち」の後半は、徳洲会の初期、ナンバーツーとして徳田を支えた医師、盛岡正博の話で進む。時に暴力団とも張り合いながら、徳洲会の内部を治め、町長選に立候補する羽目になり、そして一緒に徳洲会病で働いていた弟を亡くす。

 1990年、徳田虎雄は熾烈な選挙に勝って念願の代議士になった。しかしその瞬間から凋落が始まった。1994年には盛岡正博が徳洲会を離れる。多額の選挙資金と病院建設ラッシュの中で、借り入れが膨らみ、自転車操業を重ねる病院経営。そんな状況下で、徳田の情熱に吸い寄せられてきた草創期の医師や看護師、薬剤師、事務職員などが少しずつ離れていく。同族経営を批判していたはずの徳田氏だったが、いつしか徳田ファミリーが徳洲会組織の要所に巣食っていく。そして徳田のALS発症。第5章「王国崩壊、生き残ったものは……」・・・。

 結局、徳田ファミリーの多くは公職選挙法他で刑事罰を受け、徳洲会を去った。「そして、病院が残った」(P306)。徳田氏の理念はすばらしかった。今でも徳洲会グループのHPには「生命だけは平等だ」というスローガンが掲げられ、理念の実行方法として、「健康保険の3割負担猶予」や「生活資金の供与」などが掲載されている。徳田氏の理念に共感する人は多く、日本の医療界に大きな影響を与えたことは事実だろう。一方で、徳田虎雄や息子・毅の選挙資金は、医療界にはびこるリベートや裏金から生み出された。それらが適切に患者や医療そのものへ還流されていたら、もっとすばらしい状況になっていたのではないか。それを考えると、徳田虎雄の実績は大きくも、同時に残念に思う。徳洲会の前期、徳田氏を支えた盛岡正博は長野県で病院長となり、医療・福祉系の佐久大学を設立して、地域医療に貢献している。徳田氏が育てた植物は自家中毒を起こしてしまったが、彼の蒔いた種は日本のあちこちで芽を出していると思いたい。

 

神になりたかった男 徳田虎雄:医療革命の軌跡を追う

神になりたかった男 徳田虎雄:医療革命の軌跡を追う

 

 

○「赤ひげ」のような医師に頼る医療ではいけない。平均的な医療を提供できるシステムが大事だ。・・・システムをきちんとつくらねばならない。誰かがいなくなっても、病院が回るようにしよう。・・・猛々しい徳田が、政治と医療が絡まる「けものみち」を走っていく。このままでは、あとに続く者たちは方向を見失い、散り散りになりかねない。徳田が走る「けものみち」を人間の通れる道に整えることが、盛岡の密やかな使命となった。(P114)

○徳田は、使えると見込んだ人間が金を欲しがれば金を、ポストを求めればポストを、色を欲すれば色、理想を追いたがればその対象を、瞬時に見分けて与えた。人間の欲望を掌握する勘は並外れていた。与えられた側は、自己実現の悦びにひたれる。徳田は自己実現の機会をおびただしく創出した。そうして人心を掌握し、徳洲会を拡大させた。(P241)

○「徳洲会には、理論上は50ヵ国に来年一年間で着工できる信用があります」と言い放つ。・・・動かない身体とは反対に徳田の夢は世界を駆けめぐる。人によっては「妄想」ととらえるだろう。/王国の安定を損なう要因は、そこにあった。衰えていく肉体の現実と、膨張する夢の隔たりである。それが膨大な資金の重さと相まって王国を突き崩す負の力へと転じてゆく。内部崩壊へのカウントダウンが始まっていた。(P273)