とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

 2014年発行なので少し前の本だが、当時はそれなりに話題になったことだろう。昨日の「羽鳥モーニングショー」で日米地位協定を取り上げていたが、今やこうした事実は常識となりつつある。また、「故小林侍従日記」の発見で、今再び、昭和天皇の戦争責任について関心が集まっている。本書についても一部では「トンデモ本」という批判もあるようだが、公開文書等がベースとなっており、その部分は信頼してもいいのではないか。筆者はこれらの事実をベースに、9条2項の改憲論を述べるわけだが、その部分が主ではない。だがわかりやすい。

 「日本国憲法GHQが書いて押し付けたが、当時の日本人にはとても書けない良いものだった」というまとめは実に簡潔で、たぶん正しい。だから、「自分たちでそれ以上の良い憲法を書きましょう」というのだが、できるかな? すぐに改憲議論に進むのではなく、急がなくてもいい。事実を認識することが重要だ。そして理想的な憲法構想を考える時に気になるのが、本書で指摘する、国連憲章における「敵国条項」の存在。それは筆者が言うように、自ら憲法改正をすれば抹消される類いのものなのか。そうでないとすれば、今必要なのは、改憲議論ではなく敵国条項の撤廃ではないのか。その点がまだわからない。

 本書の中では、戦後処理における昭和天皇の果たした役割がいくつか紹介されている。「沖縄メッセージ」も「ダレスへの天皇メッセージ」を初めて知って驚いた訳だが、確かにそういうこともあっただろう。その上で、今、何をすべきか。北朝鮮問題や米中貿易戦争、トランプ大統領プーチン習近平といった政治家の存在。こうした国際情勢を踏まえた時、のんびりと改憲議論をしている場合ではないような気がするのだが、どうなんだろうか。現在の政権が真に日本国および国民のことを考えて政治をしてはいないような気がしてならない。「外交の安倍」というけど、ホンマかいな?

 

 

○六本木・・・に「六本木ヘリポート」というバックドアがあり、CIAの工作員が何人でも自由に入国し、活動することができる。そしてそれらの米軍施設内はすべて治外法権になっており・・・施設内に逃げ込めば基本的に逮捕できない。これはまちがいなく、占領状態の延長です。・・・「戦後日本」という国は、占領終結後も国内に無制限で外国軍の駐留を認め、軍事・外交面での主権をほぼ放棄することになりました。(P78)

アメリカ側の描いたシナリオのもとで、それをうまくアレンジし、そのなかで自分たちの利益も実現していく。絶対に逆らわず、裏切らず、しかも期待を超える結果を出すことでアメリカ側からの信頼も得ていく。これが昭和天皇と側近たちの構築した、昭和後期の日米関係の基本形でした。・・・こうした昭和天皇の主導した二重構造、本人はだれよりもよくその実態・・・を知りながら、非常に美しいフィクションをつくる。そして敗戦国のプライドを守る。これが占領期と、その後の日本の戦後体制全体をつらぬく基本構造になっています。(P153)

○「日本国憲法の真実」を極限まで簡略化すると、/①占領軍が密室で書いて、受け入れを強要した。/②その内容の多くは、日本人にはとても書けない良いものだった。/ということになる・・・これが日本国憲法をめぐる「大きなねじれ」の正体です。・・・このふたつは論理的には矛盾している。・・・いわゆる「認知的不協和」を起こしてしまう。・・・正しくは①の歴史的事実をきちんと認めたうえで、②を超えるような内容の憲法を自分たちでつくるというのが、どこの国でも当たり前のあり方です。(P185)

国連憲章は、「武力行使の原則的禁止」や「主権平等」「民族自決」「人権の尊重」など、さまざまな理想主義的条項を定めています。/ところが、この[国連憲章]107条がのべているのは、「敵国」に対する戦後処理については、そうした条項はすべて適用されない、適用除外になるということなのです!・・・ですからサンフランシスコ講和条約・・・にもとづき日本に駐留する米軍や・・・沖縄に関しては、いくらその実態が「民族自決の原則」や「人権の尊重」に反していても、国際法には違反しないということになるのです。(P222)

○1947年・・・8月5日に国務省が作成した日本との講和条約の草案に・・・沖縄を非軍事化したうえでの返還構想が記されていたのです。/もちろん軍部は真っ向からその案に反論・・・国務省と軍部はまさに一触即発状態にあったのです。/そうしたなか、1947年9月19日に絶好のタイミングで・・・届けられたのが、昭和天皇の「沖縄メッセージ」でした。そのなかで昭和天皇は、「長期のリースというフィクション」を日本側から提案し、「そのような占領方法は・・・日本国民に納得させるだろう」とのべていたのです。(P256)

○戦中から戦後へつづく・・・共産主義革命への一貫した恐怖が、憲法9条2項による「戦力放棄」とあいまって、沖縄や本土への米軍駐留継続の依頼へとつながっていったのです。それは昭和天皇個人の判断というよりも、あきらかに日本の支配層全体の総意だったといってよいでしょう。(P262)