とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日本サッカー辛航紀

○死を意識することで初めて見えて来るものがたしかにある。サッカーについて書く本は、もうこれで最期という、それこそ澄み渡った気持ちで自分を奮い立たせてなんとか帰港地にたどり着くことができた。(P357)

 樹木希林が亡くなった。さくらももこも翁長知事も浅利慶太も・・・。平成の元号が変わらないうちと急ぐように、今年は著名人の訃報が多いような気がする。そしてサッカー界を代表するジャーナリストである佐山一郎氏も、本書でもってサッカー関連の著作については筆を置くと言う。そんな・・・。実に残念。

 本書は佐山が取材してきたサッカー界の、「愛と憎しみの100年史」と副題があるとおり、戦前1920年代からのサッカーの歴史を、自身の取材と執筆の過去とともに振り返るもの。「辛航紀」と付けられたタイトルのとおり、それはただ辛く苦しく、まさに愛と憎しみの対象としてのサッカー界だった。

 初めて読んだ「サッカー細見’98-’99」「こんなサッカーのコラムばかり雑誌に書いてきた」の感想にも書いているが、とにかく最初から佐山氏の文学的知識と硬質な文章には圧倒され、一目置いてきた。当時は私も「サッカー狂い」(細川周平)をサッカー文芸の名著と考えていたが、本書では現時点で改めてその時代を冷静に評価し、どこか懐かしんでいるように見える。

 常にJFAには批判的な視座を崩さなかった。今なおJFAが抜本的変革を遂げたとは佐山氏も思ってはいないだろう。一方、サッカーの社会における位置付けは確実に変化してきている。腐敗したFIFAを挙げるまでもなく、利権と経済と政治や権力の狭間で常に利用され、利用し、彷徨っている。

 佐山氏も既に65歳になる。サラリーマンであれば定年退職し、再雇用の期限も終わる年代だ。いつまでも現役でいてくれというのは酷かもしれない。とりあえず筆を置くのは「サッカーについて書く本」と書かれている。佐山氏の文芸界におけるデビューは、まずはサッカー本以外のところで評価された。だからこれからもサッカー本以外のところでは佐山氏に会えるだろう。冷静で熱いその筆致にどこかでまた出会えることを願っている。

 

日本サッカー辛航紀 愛と憎しみの100年史 (光文社新書)

日本サッカー辛航紀 愛と憎しみの100年史 (光文社新書)

 

 

○1968年10月24日木曜には、代表チームがメキシコシティ五輪で銅メダルを獲得する。・・・だがそこにたどり着くまでの、一般大衆の無理解・無関心は徹底していた。・・・サッカー劣勢の背景には「足蹴にする」、転じて他者へのぞんざいな振る舞いの意となる下半身劣位イデオロギーが伏在した。(P48)

○こんな島国根性の横行する中にしては先が見えない。・・・二宮の恩師ヘネス・バイスバイラー・・・のおかげで、二カ月にわたる伝説の「日本代表・欧州武者修行」が77年の夏に実現する。・・・戦績だけをたどれば惨憺たるものだが、二宮の意図するところはより高い次元にあった。成熟度低きサッカー環境の中での精一杯。悪目立ちや老害とは対極の所にいた二宮が、どん底に打ち込む下支えの柱の一本であったことを疑う者はいない。(P100)

○一驚を喫したのは、横山が白‐青基調の代表ユニフォームを、赤いゲームシャツに変えてしまったことである。・・・協会幹部に問いただすと、「代表監督の専権事項だから」というボレー顔面直撃的回答。・・・何かを変えたい一心だったことは理解できるにしても、肝心な代表監督選びを、重厚長大企業に属するメキシコシティ五輪銅メダル組の持ち回りにしてよいのかという思いもそのとき芽生えた。(P174)

○こんな喜楽の時代に、「僕はJリーグが始まった時のフィーバーぶりを知らないんですよ。帰って来た時は浦島太郎の気分」と言ってのける男がいた。1992年から約1年間、ドイツにコーチ留学した岡田武史その人だ。・・・求めたものは、現時点で正しいと思うことを迷わずに実行するリーダーとしての強靭さだった。・・・契約・対決社会を選択した男がマッチアップした相手は、「情」や巧言。切羽詰まってのドイツ留学だった。(P231)

○国内の学術系図書では、音楽学者の細川周平『サッカー狂い 時間・球体・ゴール』の声価が定まっていた。・・・しかし今見れば、かつての謳い文句からしてどこか酔態気味である。・・・ずいぶんとまたロマンチックな本だなァ、というのが変わらぬ感想である。「現実を幻想的に見るな、知と戯れるな」と言いたくもなるが、それでも86年メキシコW杯から90年イタリアW杯までの時代においては、超人的な知的博捜をしていた。(P242)