とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日常的に停電していた昔を思い出す

 先の台風24号の影響で、中部電力管内では未だに多くの世帯で停電が続いている。台風が近づくと、蝋燭を準備したり、雨戸がないガラス戸には板を釘で打ち付けて固定するというのが数十年前までは常識だったが、今は誰もそんなことしないだろうなあ。愛知県内の停電エリアを見ると、東三河の市域も長期にわたって停電だった模様だが、今は新城市豊田市の山間部、そして北設楽郡の町村に限られており、これらの地域では高齢の方が多いので、停電には慣れているのではないかなとは思う。

 北海道の地震で大規模な停電が続いた時もかなりの騒ぎになった。現代人は停電への耐性が、一昔前に比べれば格段に低くなっていることを痛感する。停電と言えば、冬にガスファンヒーターを用意するが、熱源がガスにも関わらず、電気コンセントにつながなければ作動しない。非常時には複数の手段を用意しておくことが重要だと思うが、都市ガスはすっかり電力会社の軍門に下ってしまった。普段は電気コンセントに接続してファンを回すことも必要だろうが、停電時には、例えば電池などを利用した着火も可能にした仕組みにしておくことが必要ではないだろうか。

 昔は台風などでなくても、よく停電をした。60歳以上の高齢者はそういう記憶がまだあるのではないか。地方に住む高齢者には、初めて電気が通電して照明が灯った感動を記憶している人もまだいるのではないだろうか。私も祖母が川で洗濯をしていた記憶があるし、馬や荷車が家の前の未舗装の道路を通っていた記憶が微かに残っている。今はTVもスマホもエアコンも炊飯器も洗濯機も自動車も・・・すべてが当たり前な時代だが、それらがない生活も知っておいて無駄ではない。だからキャンプが流行っているのだろうか。でも今どきのキャンプは、日常と変わらない生活ができることがウリになっている気もする。

 けっして昔のほうがよかったとか、不便な暮らしを経験しろとか、(だから自衛隊入隊経験が必要とか)言うつもりはないが、たかが停電でマスコミが大騒ぎするのを観ていると何か違和感を持つ。電力会社だって努力をしているはずだし、人生、与えられた環境の中で生きていくしかない。不平を言う必要はない。よい経験だと思えばいいのではないか。