とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

終わりと始まり 2.0

 池澤夏樹朝日新聞夕刊に連載を続けているコラム「終わりと始まり」の2013年4月から2017年12月までの分を掲載したもの。コラムは2009年にスタートしており、本書に掲載以前のものは、「2.0」のない「終わりと始まり」として既に出版されているとのこと。そして現在も連載は続いているから、現在連載中のものを読もうと思ったら、有料会員限定記事とのこと。残念。「終わりと始まり 3.0」が発行されるのをあと4・5年、待つことにしよう。

 改めて池澤夏樹は文章がうまいなあと思う。文筆家なので当たり前だが、難しい言葉を使うことなく、心の中の思いや考えをスッと引き出し、わかりやすく表現してくれる。読みやすく、心が温かくなる。下に引用した文章は政治モノが多いが、それ以外にも文芸論や文化・文明論、旅行記なども交え、実に気持ちよく読み進めることができる。

 この間、様々なことがあった。2013年の時点では、東日本大震災の記憶も新しく、原発政策への批判も多くあるが、その後はシリア内紛が勃発し、熊本地震が発生し、沖縄問題も紆余曲折があった。トランプ大統領が誕生し、安倍政権はただただ誤魔化しを繰り返すばかり。それを傍目に、悲憤慷慨しつつ、愚直に生きる。それしかない。池澤夏樹のような人の存在は、今という時代に一服の清涼感となり、心を和らげてくれる。

 

 

終わりと始まり 2.0

終わりと始まり 2.0

 

 

○政治とは政策であると同時にイメージ操作である。今の時代、その傾向はいよいよ強い。かつてゲッペルスが見抜いたとおり、活字よりは音声、理屈よりは印象、思考よりは気分が優先される。・・・占領軍による押し付けと言うけれど、合衆国憲法を押し付けられたわけではない。欧米が時間をかけて培ってきた民主主義・人権思想・平和思想の最先端が敗戦を機に日本に応用された。そのおかげでこの70年の間、日本国は戦闘行為によって自国民も他国民も殺さずに済んだ。(P14)

○今の日本では強者の声ばかりが耳に響く。それにすり寄って利を得ようという連中のふるまいも見苦しい。経済原理だけの視野狭窄に陥った人たちがどんどんことを決めていくから、強者はいよいよ強くなり弱者はひたすら惨めになる。/強者は必ず弱者を生む。いや、ことは相対的であって、弱者がいなければ強者は存在し得ない。(P79)

アメリカでは社会の重心が若い方にある。だから未熟で野心的な者がやる気になり、それがうまくゆくとたちまち全体を席巻する。グローバルという増幅装置はアメリカの発明品だ。・・・それに対して、若くないアメリカは忌まわしい。外に対して攻撃的で、独占で肥え太り、強引で押し付けがましい。・・・そして、『宰相A』こと安倍晋三が今回この国を安保の鎖で縛りつけたのはこの忌まわしい方のアメリカだった。(P115)

○政治というのは根源的には「夢と嘘」を操作する技術ではないのか。/社会を滑らかに運営するだけなら行政だけで済む。それを超えて強い求心力で国民を整列させ、未来に向けて行進させる。・・・政治には何か未来像が要るらしい。/隣国を敵と名指しして戦意高揚を図るのは・・・国をまとめる詐術だ。/夢の方はもう少し穏やか。経済的な繁栄とか祝祭の約束とか。/実を言えば、21世紀の今、どこの国ももう無限の経済成長は望めない。必死でごまかして先送りしているだけ。「夢」は「嘘」にならざるを得ない。(P139)

○「仮想現実」ときみは気楽に言うけれど、そもそも「仮想」が「現実」のはずがないじゃないか。/しかし、その一方で反省もするのだ。はるか昔、狩猟や採集のランドマークとなるところに地名を付した時から、あるいは親族の一人一人に命名した時から、我々は仮想に生きる道を選んだ。言葉は仮想だ。(P186)