とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

フットボール批評 issue22

○「この舞台は1000倍最悪だ。だから両足が震えてしまう。でもピッチでは違うよ。ずっと、あそこで過ごしてきたんだ」・・・プロアスリートもセルフブランディングに取り組む必要性が叫ばれるこの時代に、単なるフットボーラーでしかない男が報われたのだった。(P001)

 冒頭の「フットボールの格言」に、今季のFIFA最優秀選手賞を受賞したモドリッチの言葉が掲載されている。すばらしい。後ろの書評を読むと、モドリッチユーゴスラビア紛争で祖父が銃殺され、難民生活を経験してきたという。単なるフットボーラー。だがその言葉は重い。

 今号は「戦術論」がテーマ。3バックや4-4-2、チェルシーのサッリ監督のサッカーなど、評論家の方々の戦術論はどれも興味深い。中でも「『両足使い』は幻想なのか?」という加部究の記事は特に目を惹く。「利き足指導」を行う檜垣裕志のサッカースクールやグルージャ盛岡のヘッドコーチ高崎康嗣の話が面白い。「両足使い」を指導する日本のサッカー指導に対して強く異議を申し立てている。

 また、公認会計士の資格を持つFC町田ゼルビアGM唐井直氏の、現行のクラブライセンス制度に対する異議も興味深い。1万5千のスタジアムを用意できない町田ゼルビアは、J1には上がれないが、チャンピオンズリーグのスタジアム規定には適合するのだという。3年連続赤字禁止の規定にも異議を申し立てる。

 地方クラブの話題としては、サガン鳥栖の再起への取組や、ツエーゲン金沢の悪役キャラの話も目を惹く。そして「KFG蹴球”誌上”革命論」。JFLホンダロックサポーターのロック総統のサポーター論には、まさに凄味がある。「サポーターにできることは、スポンサーの心を捉え続ける雰囲気を醸成し、それを守り続けること」。たとえグランパスが1年でJ2に落ちたとしても、「失敗や挫折に寄り添う」ことこそ真のサポーター愛だ。

 ところで、「PRESENTS」コーナーの応募方法が従来の折り込みハガキからメール応募に変わった。ハガキで応募する人は少なかったのだろうか。実はまた当選してしまった。ありがたいことだけど、実は先日、図書館で借りて読んだばかり。うーん。今号でも紹介している「裸のJリーガー」大泉実成著)。どなたかコメントをいただければ譲りますよ。お待ちしています。 

フットボール批評issue22

フットボール批評issue22

 

 

○一番大事なのは自分で自分の人生を生きることができる、主体性のある人間になれるかどうか。・・・この国はリーダーが必要なんじゃなくて、主体性のある大衆が必要なんです。・・・よく言うじゃん。試合後「リードを守るのか、もう1点取りにいくのかわかりませんでした」と。あれを聞くとバカじゃねぇかと思う。そんなの、お前たちが決めればいいんだから。(P011)

○短期的に・・・赤字が出たとしても、長い目で見れば必ずアカデミーの子たちが育ってくるとか、科学的にフットボールに対する見方を高めていかないといけないと思うんです。会計士の世界の財務状況だって・・・たとえば、その企業が環境にどれだけ貢献しているかを見ることも大切な時代になっています。/定量的な話ではなくて、定質的な別の価値観が求められている。それはサッカークラブの経営にも言えることだと思います。(P079)

○世界のトップレベルと日本の選手たちの似て非なる違和感を考察し続けてきた。辿り着いたのは「利き足が武器にならないようでは世界に通用しない」という結論だった。・・・トップレベルの選手たちは、利き足の前に1ヶ所自分の最大値を表現できるボールの置きどころを持っています。・・・ギリギリの状況に追い込まれるほど、自然に利き足を使うステップワークになっているんです。(P108)

○「落ちる」には悪いことではないのだよ。・・・まず「勝てるようになる」からね。・・・一度「落ちてる」ところは「殺伐としなくなる」んだよ。サポーターが成長する。・・・「身の丈に合った楽しみ方と進み方」を模索し始める。・・・応援とは何か。それは失敗や挫折に「寄り添う」ことなのだ。・・・サポーターにできることは、スポンサーの心を捉え続ける雰囲気を醸成し、それを守り続けること。それこそが、目の前の試合だけにとどまらない、愛するマイクラブへの「関与」なのだ。(P120)