とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

幻夏

 太田愛の第2作目。デビュー作「犯罪者」が企業犯罪を題材にしたものなら、この第2作目は冤罪をテーマにしている。(最初からネタバレなので注意!)

 無罪の罪で服役した男。そして冤罪だったことが発表されたその日に、自らの子供の手によって死を迎えた。実際には事故死といってもいいように思うが、自ら父親を死に陥れたと10数年後に気付いた少年は、心を病み、殺人鬼と化す。父親の死の現場に立ち会った兄は、弟を庇うため、姿を消した。そして23年後、科警研の研究員となった兄は、弟の犯行に気付き、弟を殺し、そして父親の冤罪に関わった警官、検察官、裁判官への復讐を実行していく。

 オモテから書けば以上のような経緯だが、小説では、兄が失踪するまで、彼らとひと夏だけの友人だった警察官の思い出から始まり、失踪した少年を見つけてほしいという母親からの依頼を受けた私立探偵の側からその家族の過去を追い、新たな少女失踪事件の発生から両者が結びついて、次第に真相に迫っていく。兄が実は生きていて、科警研の研究員と同一人物であることがわかる場面などはやや無理筋な設定という気もしたが、最後になって明らかにされる真実は、少年らしい行動として理解できるし、その行動が冤罪被害家族のその後の悲劇的な顛末を導いていくストーリーはあまりに悲しい。

 冤罪に至った証拠隠滅について当然のように言い張る元検察官。「無罪推定など国民は望んでいない」という言葉を否定しきれない現実があることは事実。「恨みません調書」や「叩き割り」などは実際に警察で行われたことだという。そして第3作「天上の葦」では、メディアと政府権力との癒着を描き出す。まさに太田愛は現在の社会派ミステリーのトップランナーだ。そうした事柄が小説となってしまう日本の現状が悲しい。

 

幻夏 (角川文庫)

幻夏 (角川文庫)

 

 

○渋谷哲雄が無罪だったと解って、三島北署は冤罪を認める記者会見を開いている。プライバシーを考慮してってことで、渋谷哲雄の名前は伏せた形でね。……「八年間まるごと人権を無視しといて、プライバシーだ? 逮捕した時はガンガン実名報道してんだろ。無罪と解ってから名前を伏せて、いったいプライバシーのどの辺が守られるんだよ。第一、名前を伏せたままじゃ、誰が無罪だったのかも解んないじゃねぇか」

○『被告人は、有罪と証明され、宣告されるまでは無罪と推定される』という『無罪推定の原則』がある。公判においては、検察の側に被告人が有罪であることを『合理的な疑問をさしはさむ余地がない程度に』立証する義務があるのだ。そういう意味では、法廷は有罪か無罪かが決せられる場というより、『有罪』か、『有罪でない』かが決せられる場と言える。/もしかしたら拓は……そのような原則が絵に描いた餅にすぎないと考えて法に対する信頼を失ったのではないか(P208)

○「過去に関する『もし』は、全部、起こらなかったことだ」……そして起こってしまったことは、いつだってもうどうにもならないのだ。(P392)

○取り調べは密室で行われるため被疑者はどんな取り扱いをうけてもそれを証明する手立てがなく、公判でも捜査機関には証拠を全面開示する義務もない。検察は有罪を勝ち取るために調書には被告に有利なことをまず記載せず、膨大な事件を抱えて多忙を極める裁判官は、検察に対するチェック機能を充分に果たせない。その結果、有罪率99%の副産物として冤罪が生まれる。(P442)

○一人の無辜を守るために、十人の真犯人を逃がすような社会。そんな危険極まりない社会を人々が心底、望んでいるとは私には思えないね。……世間は、力を持つ者の力の行使を容認する。……大きな結果を上げるためには目を瞑らざるを得ないこともある。/要するに、構造というものは、誰かが意志して作り上げたものではないのだ。構造というの……世間がとりあえずは望む形で安定している、いわば『状態』に過ぎない」(P444)