とんま天狗は雲の上

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逆転した日本史

 筆者の河合敦氏は日本史の元高校教師。和同開珎よりも古い無文銀銭。推古天皇の脇役に過ぎない聖徳太子儒教の徳や仁で統治しようとした徳川家綱。幕末になって出版され有名になった「慶安の御触書」などなど、我々60歳を過ぎようとする高齢者を対象に、かつて教わった歴史の内容が現在ではこのように教えられていますよ、と紹介する教養本。

 もちろん日頃から歴史学に関心の高い人にとっては当たり前の内容だろうが、最近興味を抱き始めた私のような者には、「そうなのか」と目を開かれる思いがする記述も少なくない。また「鎖国」など歴史学の分野ではすっかり否定されている言葉がパブリックコメントで多くの反対意見により削除が見送られるなど、凝り固まった高齢者による老害も少なくないようだ。

 しかし、下記に引用した鉄砲伝来に関する文章にもあるように、常識的に考えても、種子島への漂流が唯一の鉄砲伝来であったとは考えにくい。先に読んだ「大化改新を考える」でも紹介されていたように、後代に書かれた史料が必ずしも正しいとは限らない。これまでの定説に捉われない冷静さと常識をもって歴史を振り返る時、過去はまた違った形で見えてくる。また多くの歴史家がそのように過去を検証してきた。それこそが歴史学の醍醐味でもあろう。

 「士農工商」の話も知らなかった。本書をきっかけに改めて歴史を勉強してみようと思う者もいるのではないか。私の場合、そこまでは思わないが、定説を疑い、自分の頭で考えることの必要性と柔軟さを知らされた。楽しい歴史本だった。

 

逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~ (扶桑社新書)

逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~ (扶桑社新書)

 

 

鎌倉時代の人々は、新仏教といった概念を持っていなかったのである。鎌倉時代に登場した六派を旧仏教と区別して新仏教と考えるようになったのは、はるか後年、江戸時代に入ってからのことなのだ。だから平雅行氏は……「『江戸新仏教』と呼んだほうが実体に即している」と述べ……ている。(P38)

士農工商という概念は古代中国のもので、四つの身分というより「あらゆる人々」を意味した。なのに江戸時代の儒学者が、強引に日本の社会にあてはめ、それが誤った形で明治以降に伝わっていったのである。正確には、江戸時代の身分には、支配者の武士と被支配者の百姓・町人という二つがあるだけで、百姓と町人については、村に住むのが百姓、町に住むのが町人というように居住区や職業別にすぎないのだ。しかも驚くべきことに、身分間での移動もできたのである。(P47)

ポルトガルは十六世紀はじめにインドのゴアを拠点として東南アジアで交易を始めている。だからこの時期、鉄砲を所持している中国人やアジア人は大勢いたと思われ、そういた人々を通じて日本列島に鉄砲が入り込んでいても不思議はないのである。/単に最古の記録が「1543年に種子島に伝来した」というに過ぎないのであり、もっと早い時期に我が国に鉄砲がもたらされていた可能性は十分あり得る。(P143)

○早く教科書から鎖国なんて言葉は削除したほうがよい。/そう思っていたら、文科省が新しい学習指導要領で……「鎖国」という用語の使用は取りやめ、「幕府の対外政策」という表記にすると発表した。/良いことだと思っていたところ、なんと、パブリックコメントの結果にかんがみて、文科省は前言を撤回したのである。国民に定着した「鎖国」という言葉を消すことに抵抗がある人たちが相当多いようである。(P148)

○笹森お仙、楊枝屋の柳屋お藤、水茶屋の蔦屋お芳を明和の三美人と呼び、圧倒的な人気をほこった。お仙については、絵草子、双六、手ぬぐい、さらに人形までがつくられる過熱ぶりだった。……それまで江戸っ子のおこがれの女といえば……水商売や風俗業界の女性だ。/しかし男たちが熱を入れはじめた水茶屋の評判娘は、まったくの素人である。……そんなノンプロがこれほどまで人気を得たのは……画期的なことだといわれている。(P215)