とんま天狗は雲の上

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日本史のミカタ

 対談本はもともと苦手だ。それでも井上章一の名前に魅かれ、購入してしまった。しかし最初のうち、これをどう読めばいいのか、どう楽しめばいいのか、わからなかった。話題がポンポンと飛ぶ。突拍子もない仮説を語り、「ああ面白い」と二人で楽しんだ直後にはすぐに別の話題になっている。日本史に詳しくない私としては、次から次への展開に目を回すばかり。

 しかししばらくするとようやく本書の読み方がわかってきた。学会などで定説とされる学説に対して、「こんなミカタもできるんじゃないの」と様々に横ヤリを入れては楽しむ。特に、井上章一は元々建築史家であるから、けっこう大胆に定説を覆していく。朝廷と武家の権門体制論対東国国家論の対立に対して、「自分は竹内まりや説だよ」と言う。室町幕府は、ゼニカネ・宮殿・美女で封建領主を動かした「絶対王政」だと言う。「幕末、ペリーが来航した時、江戸幕府は日和った。開国を決断したにもかかわらず、大老井伊直弼は決定に箔をつけるために、朝廷におうかがいを立ててしまった。本当は、おうかがいを立てる必要などまったくなかったのです」(P227)というのは本郷氏の発言だが、こうした通常では語られない類の説が満載なのだ。

 しかし、これはある程度、歴史学に対して知識や教養がないと、学術的な研究を否定することにもなりかねない。もっとも歴史って、井沢元彦の「逆説の日本史」など、ある意味トンデモ説の宝庫だし、最近では百田尚樹の「日本国紀」なんてのもある。それらに比べれば本書の方がはるかに史実や史料を押さえた上での議論なんだろうけど。

 でもやはりこれは私には少し難しかった。もう少しハイレベルな歴史ファン向けの本だったようだ。

 

日本史のミカタ (祥伝社新書)

日本史のミカタ (祥伝社新書)

 

 

○【井上】京都で怨霊になった有名どころを見ると、ほぼ全員、京都から追放されている人たちです。……【本郷】「徳」の字がつく天皇の多くがそうです。崇徳天皇安徳天皇順徳天皇などです。後鳥羽上皇も実は顕徳天皇という名前になるはずでした。……「徳」にはあるべきところに戻すという意味があるのです。ですから、天皇に「徳」の名をつけることは、名前だけでもあるべきところ、つまり京都に戻して怨霊を鎮めることを意味しているのです。(P90)

○【井上】黒田俊雄さんは、朝廷がどちらかに偏るのではなく、うまくバランスを取ったとして、権門体制論を唱えました。しかし、バランスを取ったと言うけれども、最終的に解決したのは鎌倉幕府の武力ではないか。これが、本郷さんの批判です。……放っておけばいいものを、鎌倉幕府はええかっこをしたわけですよ。……そうやって幕府に見栄を張らせてしまう力、言ってみれば京女の魔力を、本郷さんは見過ごしている。……私は……「竹内まりや説」です(P124)

○【井上】明治維新後、日本国内にどんどん西洋館が建ちました。それは文化的にヨーロッパの軍門に降っているように見えるけれども、実はヨーロッパの植民地になりたくない、あんな建物なら自分たちでも造れるという意志の表われとも言えます。……収入が途絶えた公家は、娘を田舎大名に嫁がせ、婚家からは仕送りをしてもらうようになるのです。……困窮した公家たちによって、文化が地方へ伝播していったのです。(P160)

○【井上】一種のアジール(聖域)として、寺社は幕府の公権力がおよびきらなかったため、さまざまな抜け道となっていた。それは、駆込寺として逃げてきた女性を匿っただけでなく、幕府の目をくすねた商人や表に出せないお金も匿ったと思うのです。……【本郷】江戸時代、仏教は寺請制度ができて、いわゆる「葬式仏教」となり、どの宗派も横並びになりました。極言すれば、江戸時代に仏教は死んだのです。(P210)

○【井上】明治維新の時、官軍には戊辰戦争や、天皇の東京行幸を行える資金がありませんでした。それで、京都・大阪の商人に上納させた。その資金集めを引き受けたのは三井です。……三井が「官軍にこの国の未来を託そうや」と、京都・大阪のブルジョア(資本家)たちを説いて動かさなければ、幕府は瓦解しなかった。……その意味で、明治維新ブルジョア革命だったと私は考えています。(P214)