とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

蓮池薫さんの講演会に行く

 先日、蓮池薫さんの講演会に行ってきた。蓮池薫さんと言えば、蓮池兄弟のうち、北朝鮮に拉致されていた弟さんの方。1978年の夏に後に妻となる祐木子さんとともども、北朝鮮工作員に拉致され、2002年に帰国。その間、24年間。拉致された時の状況から帰国後に至るまで、赤裸々な話を聞かせてくれた。

 最初に最近の北朝鮮情勢を踏まえての今後の見通しを少し。北朝鮮との関係は、核・ミサイル・拉致の3つの問題があり、帰国後、北朝鮮が核開発やミサイル発射などの強硬姿勢に転じたことから、拉致問題の解決も難しいと思ってきたが、前の二つの問題が軟化の様子を見せており、拉致問題解決のチャンス到来という意見もある。という関係者の意見を紹介しつつ、日本国としては北朝鮮に対して毅然とした態度で向かっていく必要があると厳しい姿勢を崩さなかった。北朝鮮の恐ろしさを知り尽くした者ゆえの見解だと感じた。

 拉致された時の状況については既に他のメディアなどでも紹介されているのかもしれないが、直接話を聞くと、実感の籠った説明には思わず魅入られてしまう。数日前に大きな花火大会があり、工作員はそれを利用して侵入したのではないか。デートで海岸に向かったところ、おおぜいの人が遊んでおり、中でも酔っ払いが大きな声を張り上げていたので、そこを避けて海岸を横に歩いていった。しばらくして喧騒からやや離れたところに座っていると、流暢な日本語で「タバコの火を貸してくれ」と寄ってきた男がいたので、ライターを差し出そうとしたところを後ろから殴られ、抵抗はしたがそのまま押さえ付けられた。辺りが暗くなると、袋に詰め込まれ、船に乗せられた。ちなみに最初に接触してきた男は、在日朝鮮人北朝鮮に帰国し、工作員になった男だった。

 二人は別々の船室に入れられ、北朝鮮北部の港町・清津に着く。そこで「祐木子さんはどうしたか」と聞くと、「女性は用がないので、日本に残していった」という返事。だが実際は祐木子さんにも同じことを言っていた。その後、平壌に送られ、招待所という名の隔離施設で暮らす。当時、北朝鮮金日成の時代で、外国人を教育しスパイとして利用するという方針の下、工作員教育を受けた。最初の数ヶ月は抵抗したものの、命の危険を感じ、途中から形だけでも素直に教育を受けることにした。

 最初の転機があったのが翌年の1979年。レバノン人女性拉致事件が発覚し、拉致外国人を工作員に教育する方針が放棄された。ちなみに「レバノン人女性拉致事件」とは、日本企業の秘書募集に応募したレバノン人女性を拉致し、工作員として教育をしたもので、彼女たちが工作活動実習としてユーゴスラビアに行った際に脱出し、北朝鮮が拉致をしていることが明らかになった事件。その後、拉致外国人は工作員となる北朝鮮人に外国語を教える役割を担うことになった。ちなみに、1980年、突然「結婚したいか」と聞かれ、初めて祐木子さんが生きていることを知った。理由はわからない。結婚式の様子なども話されたが、細部までは覚えていない。しばらくは子供を作ることは認められなかったが、しばらくして許可され、翌年、長女が生まれた。子供たちには、身の安全を考え、自分たちは在日朝鮮人で帰国してきたと伝え、日本語も教えなかったという。

 1983年、大韓航空機爆破事件が起きると、北朝鮮工作員金賢姫が拉致日本人から日本語を習ったことが明らかになった。1990年、自民党金丸信が訪朝。金日成と対談し、その後しばらくは日本に対して融和的な方針でいたが、1994年、金日成が死去。その直後から北朝鮮を大飢饉が襲い、外交どころではない状況が続く。しかし1998年に韓国大統領に就任した金大中により太陽政策が進められると、日本に対する外交も大きく変化。拉致被害者の存在を認めるようになり、2002年、小泉首相の訪朝により、夫婦で帰国できることになった。

 当初は一時帰国の予定だったが、兄の透氏に「このまま北朝鮮に帰るな」と言われ、「子どもを北朝鮮に残したまま、そんなことはできない」と反発。しかし故郷・新潟に帰り、ホッとした時間を過ごすと、日本残留を決意。祐木子さんは大反対だったが、何とか説き伏せた。その後、子供たちも日本に帰ってきて、今は新潟産業大准教授として翻訳や講演活動などを精力的にこなしている。

 一緒に帰国した地村さん夫婦とは北朝鮮でも密に交流があり、横田めぐみさん夫婦とも交流があった。横田めぐみさんはしばらくして病気で転居したが、その後もご主人とは交流があった。しかしご主人はその後、別の女性と再婚したとのこと。北朝鮮では土葬が一般的だが、洪水の危険性がある位置に墓地があることは少なく、ご主人が洪水で流された遺体を探し出し、火葬して遺骨を保管していたという北朝鮮の説明はでたらめだと指摘した。

 以上、先週聞いた話を思い出しながら書き起こしたが、多少内容に誤りがあるかもしれない。その点は容赦されたい。それにしても、蓮池薫さん・祐木子さんともにほぼ同い年。同じ頃、私も妻とデートをしていた。幸い太平洋側に暮らしていたので拉致されることはなかったが、住む場所が違えば、ひょっとしたら私たちが同じ運命にあっていたかもしれない。そう思うと、とても他人事とは思えない。数奇な運命とは言えば簡単だが、熾烈な人生だったろうと思う。来週にも2回目の米朝首脳会談が開かれる。その後も簡単には日朝関係が改善されることはないだろうが、一刻も早く、拉致問題が解決し、被害者が帰国できる日が来ることを祈りたい。