とんま天狗は雲の上

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健康寿命と医療費の関係

 先日TVを見ていたら「健康寿命が伸びると医療費にも優しい」とアナウンサーが言っていた。日頃からよく聞く話。この時も何気なくやり過ごそうになったが、よく考えてみると、どうして「健康寿命が伸びると医療費も安く済む」のか、よくわからない。そもそもこの場合の医療費って、個人が負担する医療費なのか、国や健康保険組合などが負担する医療給付分なのか、それともその総額としての医療機関が受け取る医療費なのか、判然としない。もちろんこれらは全体として連動するので、特に分けて考える必要はないのかもしれないが、医療機関としては増えて困るものではないので、これを負担する側、すなわち、患者または健康組合及び行政にとって、医療費は安くありたいと思うのだろう。個人負担分については制度設計によって変わることもあるが、要は総額として減少した方がいいということに間違いはない。

 だが、本当に「健康寿命が伸びると医療費も減少する」のだろうか? 人は誰でも死んでいく。死亡時に要する医療費は、それまで健康だったものと、病気がちだったものでそれほどの差があるのだろうか。もちろん一人ひとりを比べれば、死ぬ直前まで医療機関に行かなかった者と、長期にわたり入院をしていた者とでは差があるだろう。だが死亡までの半年間の医療費の平均を、健康寿命の長さで比較すれば、大して差がないのではないだろうか。逆に、健康とは言っても誰でも時に風邪をひいたり、ケガや入院を要するような病気もするだろうから、健康だった期間が長いほど、ということはつまり寿命が長いほど、長生きした人の方が短命で亡くなった人に比べて多くの医療費を必要としたのではないか。そう考えると「健康寿命が伸びると医療費も減少する」というのも本当かな、と思えてくる。

 実際、検索すると多くの記事で、健康寿命と医療費には相関はない、ということが書かれている。いや逆に「医療経済学の研究成果からは、大半の予防医療は長期的に医療費や介護費を増大させる可能性がある。」(「『健康寿命』伸ばす予防医療-『国民医療費』増加というパラドクスの解消:HUFFPOST」)という記事さえある。確かに、下手に予防医療をするぐらいなら、さっさと早死にしてもらった方が医療費は安く済むような気もする。

 厚生労働省の厚生白書を見ると、「平均寿命の延伸に伴い、こうした健康寿命との差が拡大できれば、医療費や介護給付費用を消費する期間が増大することになる。……平均寿命と健康寿命の差を短縮することができれば、……社会保障負担の軽減も期待できる。」といった記述があった。ようするに、平均寿命が年々伸びる中で、「不健康な期間」も伸びては社会保障負担の増加につながるから、平均寿命と同年数、できればもっと長く健康寿命が伸びてほしい、「不健康な期間」が短くなってほしい、ということを言っているのだ。だから「健康寿命に関する目標は、『平均寿命の増加分を上回る健康寿命の増加』」というのは実に正直な目標だということだ。しかしそれが予防医療で達成可能かどうかは定かでない。

 昨年の健康診断でメタボ検査に引っかかってから、協会けんぽ保健師の方による健康指導を受けるようになったが、結局言われることは「食事と運動」で、ほとんど耳タコ。彼女がこれで給与を得ているのは喜ばしいことだが、これで私の健康寿命が伸びるとはあまり思えない。また、健康医療を喧伝すればするほど増えるだろうなあと思うのが、健康食品やサプリメントの市場拡大だ。その市場規模は年間1兆5624億円というから莫大だ。もっともこちらの方も2015年をピークに漸減している。高齢者人口も一時の急増から最近はだいぶ増加率がなだらかになっているのでそうした影響があるのかもしれないし、年金削減や景気低迷の影響が大きいのかもしれない。

 いずれにせよ、健康寿命と医療費を比べるから話はややこしくなる。単に「いつまでも健康でいたい」と言えばいい話ではないか。医療費を持ち出すことで、実はその真意、すなわち「予防医療と健康関連業界の思惑」が透けて見えたように思うのは私だけだろうか。