とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

億万長者サッカークラブ☆

 先月発表された「サッカー本大賞2019」で翻訳サッカー本大賞に選出されている。タイトルだけを見ると、欧州の多くのサッカークラブがオイルマネー等により買収されている実態を描いたものかと思ったが、単に表面をなぞるだけではなく、買収する側、される側、それぞれの裏側まで取材し、その事情とその後の不確定な未来まで明らかにする。かなり内容の濃い一冊になっている。

 ロシアとウクライナのオリガルヒを描く「1章 東ヨーロッパ編」。マネーゲーム振り回されるNSLとシティ・グループを取り上げる「2章 アメリカ編」。政治と一体となった中国とタイを取材した「3章 アジア編」。そしてオイルマネーと現地の過酷な労働状況を描く「4章 中東編」。

 アブラモヴィッチチェルシーを買収したのはプーチンから身を守るためという分析に驚き、習近平のサッカー好きが中国マネーの投資につながっているという指摘にはびっくりする。スポーツビジネスに翻弄されるアメリカではホームチームとファンの関係はズタズタにされ、格差拡大の一因となっている。そしてUAEカタール外国人労働者に対する奴隷的な扱いにも驚かされる。サッカークラブへの投資とオーナー交代の陰には、世界各国の政治や経済が渦巻いている。

 それにしても、中島翔哉カタールのチームに移籍したのではなかったか。本書を読んでいると、本当に年棒を支給してもらえるのか、ちゃんと出国できるのかと心配になる。本田圭佑がCASKモスコワから移籍する際にかなり苦労したという話があったが、中島翔哉の将来にも暗い影を落とすことにならないだろうか。

 サッカーファンとして楽しいサッカーを観られることはうれしいが、それを成り立たせているウラの世界のことも知っておいて悪くはない。サッカーを観ると世界がわかる。久しぶりにそのことを痛感した。まさに大賞にふさわしい一冊だ。

億万長者サッカークラブ サッカー界を支配する狂気のマネーゲーム

億万長者サッカークラブ サッカー界を支配する狂気のマネーゲーム

  • 作者: ジェームズ・モンタギュー,田邊雅之
  • 出版社/メーカー: カンゼン
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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アブラモヴィッチがオーナーになったのは、まさにプーチンが権力基盤を固め、……オリガルヒたちを排除していった時期に重なり合う。/だからこそアブラモヴィッチは、チェルシーを買収しなければならなかった。/クラブを買収すれば……自らの存在を世界中に知らしめ、身の回りで起きることを誰の目にも見えるようにする効果であった。……西側社会の「公人」となってしまえば、仮にプーチンと距離を置くようになったとしても、身に危険が及ぶ可能性を減らすことができる。チェルシーFCというクラブは、アブラモヴィッチにとって「生命保険」のような役割を果たしたのである。(P57)

○様々な社会問題にも増して彼女が腹を立てたのは、スポーツスタジアムの問題、とりわけ納税者の補助金がスタジアムの建設に流用されたことだった。……以降、彼女はスタジアムに公的資金を補助する案に反対……市民が決定するという条例を通過させる。……セントルイス・ラムズを引き留めておくために……クロエンケ側はその条件として、新スタジアムの建設を要求。……そこで立ちはだかったのが、モット・オクスフォードたちが通過させた法案であった。(P152)

○シティ・グループは、様々なクラブから構成されるネットワークを構築。傘下のクラブ間で、選手やスタッフが自由に交換できるような……システムを創り上げたのである。しかも理論的には、これらのクラブや人材は、移籍金を支払わずに移籍できる……競技と国境の垣根は、限りなく低くなりつつあるし、スポーツ界に流れ込む金はかつてないほど複雑で大量になってきている。それを象徴するのがサッカーであり、NYCFCなのである。(P168)

習近平は五つの部会に、現状分析とラディカルな改革の断行を指示。これを受けて起きたのは、中国企業や富裕層が、狂ったようにサッカーに投資をし始めるという現象だった。……中国企業によるサッカーへの投資は、すべて政治的な理由によって行われている。サッカー界の発展にどの程度貢献したかによって、長者番付の位置が決まってくるんだ。(P215)

○「習近平体制が任期の終わりに近づき、新たな国家主席がサッカーファンではないとわかったとする。その途端に金の流れは止まり、後には何も残らなくなるだろうね」/チャイナマネーと中国のサッカーは、これからどうなっていくのだろうか……。(P280)

○「カタールで働くときには、自分は誰かの持ち物になるんだ。自由じゃないし、奴隷なんだよ。もちろん(サッカーは)カタールの(建設)労働者とは違う。でも立場は似ているし、同じ方法論なんだ。連中はこっちのことを、履き古した靴下のように捨てることができるんだよ」(P374)