とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ディス・イズ・ザ・デイ☆

 今年の「サッカー本大賞2019」の大賞を受賞したというのでさっそく読んでみた。面白かった。津村記久子と言えば確か芥川賞作家。そう「ポトスライムの舟」で芥川賞を受賞しているが、これまで読んだことはなかった。こんな文章を書く人なのか。庶民的ですごく気に入った。

 本書はJ2の最終節を題材に、全11試合をそれぞれ観戦に訪れたサポーターたちの、そこに至るまでの悲喜こもごもの物語を描いたもの。22チームはすべて架空のもの。ネプタドーレ弘前とか、伊勢志摩ユナイテッドとか、どこかありそうでないチーム名。それぞれエンブレムやチームマスコットも設定してあり、スタジアムグルメやスタジアムへ向かう状況などもまるで現実のように描かれている。

 そして11編の各試合に臨むサポーターの物語も、子供が独り立ちする親子の話もあれば、不登校生徒に悩む中学校教師もいれば、長いこと会っていなかった祖母と孫の交流、亡くなった夫が足繁く通っていたサポーター仲間との邂逅、親に先立たれた兄弟の確執、恋人との離別や淡い恋の始まりなど、さまざまな人間模様が描かれている。どこにでもある出会いと別離、行き違い。どこにでもある生き方、運、不運。そんなことがサッカーのサポーターの姿を通して描かれる。どこにでもあること。でもサッカーのスタジアムはそんな普通の人々の人生に、何らかの場を提供している。

 そのことを筆者自身、「あとがき」で次のように書いている。

○遠野から鹿児島まで、日本の各地のさまざまな人々の話を聞いて回ることは、その土地に生きること、伝統芸能に携わること、地元のチームを応援することなどにまつわる「誇り」という感情の大切さを考え直す機会でもありました。苦しい時もそうでない時も、人間を立たせるものは他でもない誇りなのではないか。また、その土地に生きる誰かに誇りを持たせるということへの一助を、Jリーグや他の地域密着のスポーツのチームは担っているのではないかと、一連の取材を通して考えるようになりました。(P365)

 「誇り」。人は誇りがなければ生きていけないのかもしれない。そして地域スポーツはその一助を担っているという言葉は確かにそうかもしれないと思う。

 方言もふんだんに盛り込まれた文章は、軽く、読みやすい。そして各短編の内容もけっして重くない。だけど、いやだからこそ、心の下からそっと支えてくれる、励ましてくれる。そんな気持ちがする小説だった。ちなみに、私がもっとも気に入った短編は「第7話 権現様の弟、旅に出る」でした。

 

 

ディス・イズ・ザ・デイ

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○自分たちが犬だとしたら、クラブは飼い犬のようなものなのかもしれない、と供子は思った。犬は飼い主を選べない。圭太は真の泉大津のサポーターではなかったということだろう。そしてこれからは、琵琶湖と苦楽を共にしていくのだろう。(P64)

○「選手もチームも、町とか周辺もどこもわりと好きなんですけど」女性はそう言いながら、携帯を取り出し何度かスワイプして、アイコンが一つしか出ていない壁紙がよく見える画面を出して誠一に見せた。「マスコットがすごく好きなんですよ。この子、つつちゃん」(P117)

○いろいろあったけれどもその年が終わってくれるっていうことに心底ほっとする、と言う嶺田さんに、おれの場合は最終節やなあ、と靖は返した。開幕節の、あらゆる可能性が開けてて、今年は後42試合もサッカー観れるんやなと思う時の開放感みたいなんもええんやけど、最終節の、今年はぱっとせんかったけど、来年がんばったらええし、とにかくまあ終わった、っていう感じも好きやなあ。(P140)

○飛行機の座席に着いた瞬間、自分がいつもやっている何件分の仕事をこの交通費で散在したのだろう、とふと思い出して足に血が下がるような気分になったのだが、浜松のことを考え始めると、そのぐらいはいい、引き続きがんばって働くから、という開き直りが頭をもたげるのを感じた。(P232)

○いろいろな人がいる文化祭みたいだなあ、と冨生は思いながら立ち上がり、座り込んで横断幕に色を塗っている人たちの頭をぐるりと見回す。これが一銭になるわけでもなく、むしろお金を出し合ってこの部屋を借りて道具も用意して、いい大人が手作りで、歌を作ったり太鼓を叩いたりしながら、サッカーチームの応援をしている。/冨生は唐突に、特に前後の文脈はなく、いいんじゃないか、と思った。(P317)

○「確かに、川越は地域リーグからゆっくりだけど確実に上がってきたんで、落ちるっていうことが想像つかなくて怖いのはわかるけれども、どこかが上がてどこかが落ちる以上、うちにそれが回ってくることもあるかもしれないと個人的には思ってきたよ」ある試合の後、水郷さんは横断幕をたたみながら淡々と話した。「なんにしろ、最後まで見届けないとわからない。落胆するかもしれないけれども、それがサッカーを観ることの一部だと思うよ」(P319)