とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「知・情・意」

 まぐまぐニュースで配信される中で、「プーチン激怒、ブンむくれ金正恩。安倍首相の外交が失敗続きの理由」という高野孟の記事があり、読み進めていくと、「インテリジェンスの『三角形』」と題して、「直観力・想像力・論理力」の3つが大事だという話があった。なるほどと思い、最近、私を悩ませている状況に当て嵌めて考えていた。そして自分なりの一つの結論に至り、これをブログに書こうと思って勇んでパソコンに向かった。

 ところが、ほぼ同じことをあの偉大なカントが既に言っていた。すなわち、「知・情・意」。いや、私はカントを読んでいないので、カントが提唱したことと私が考えたことが本当は同じではないかもしれない。たぶんカントの方がもっと深く考え尽くしており、私がこれから書くようなことは多分カントの足元にも及ばない、実はまったく誤解しているのかもしれないが、「知・情・意」というこの言葉は私の考え付いたことをほぼ言い現わしているように感じたので、まずそのことを書いておく。

 さて、私が考えたことは、「人の大きさや能力は『知・情・意』の3つで図ることができる」のではないかということだ。ちなみに、私は、「知」「情」までは思い付いたが、最後の一文字は「気」又は「胆」と思い、パソコンに向かって「意」という言葉を知って、なるほどこれが最適と思った次第。

 「知」は、知恵や思考ということで、ようするに頭がいい、ということだが、必ずしも知識の量ではないと思っている。知識ではなく、知恵。いかに頭が働くか、論理的に考えることができるか、思い付くかということ。ちなみに「知識」は「経験」とほぼイコールで、「知・情・意」を支えるバックボーンだと思っている。

 「情」も文字どおり、感情。情感。感応力。情に厚いだけでなく、他人の感情を察知し、的確に対応できる能力を指す。もちろん本人自身が感情豊かである必要があるが、感情に流されてはいけないので、感情豊かにして、同情心に厚く、かつ他人の感情に訴え、動かす力があることがベスト。

 最後の「意」は意志を貫く気力や胆力を指す。ちなみに私に一番欠けているのは「意」。そもそもあがり症で、人前であいさつをする際など、すぐに頭が真っ白になってしまうのは「気」が乏しいのだと思う。すなわち、気弱。ただ、意志が強すぎると、頑固で偏屈、他人を圧倒しすぎて、却って恨みを買ってしまうかもしれない。でも自分にもっと「気力」や「胆力」があればと思うことは少なくない。

 でも大事なのはこのバランスであり、冷静かつ的確に考え、決断し、周りの状況や空気を推し量って、行動に移すことができれば最高だ。実際は多くの場合、間違った判断もあり、感情に流されることも多々あり、必要なときに必要な決断を下せない。それでもそんなことが現実だということも弁えつつ、日々努力をすることが必要だと思う。

 ちなみに、こうしたことを考えた背景には、今、私を取り巻いている状況の中で、複数の人の人柄や性格などを思い、この3つの分野で評価をしたことがきっかけ。今、直面しているM氏は「知2・情3・意4」。I氏は「知2・情4・意4」。O氏は「知3・情4・意4」。Y氏は「知4・情4・意2」。そして私もYさんと同じ「知4・情4・意2」かな。