とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

監督の異常な愛情☆

 サッカー本大賞2019の読者賞を受賞した。「または私は如何にして心配するのをやめてこの稼業を・愛する・ようになったか」というのは副題なんだろうか。「ひぐらしひなつ」というライターも知らなかったが、本書を読んですっかりファンになった。今月頭には「救世主監督 片野坂知宏」が出版されており、これもぜひ読んでみたいと思っている。

 単に複数の監督の人間性を追いかけた本ではない。サッカー専門誌「EL GOLAZO」の大分番をしてきた中で出会った監督たちの、まさに異常なサッカーに対する愛情を余すことなく描き切っている。そのためには「この場面で監督は何を考え、その決断をしたのか」とけっこう難しいサッカー戦術についてさらに掘り下げて聞くことで監督の人間像が浮かび上がってくる。

 勝ち負けだけではない。選手たちの立場、能力、気持ち。サポーターやチーム関係者に対する対応。自分自身の生き方に対する信念など、複層的に描くことで、さらに深い人生観やサッカー観が見えてくる。当たり前だが、勝つ監督がいれば負ける監督がいる。優勝するチームがあれば降格するチームがある。本書で取り上げる監督たちは、片野坂監督を除けば、もっぱら降格圏を喘ぐようなチームを率いている人たちだ。いや片野坂監督にしたって、J3降格からの監督業であり、マイナスからのスタートだ。そうした境遇の中で彼らは何を考え、何を楽しみに監督業を務め、日々戦っているのか。

 編集担当者から「実のところ本書の裏テーマは、異常な監督たちに魅せられたライターの異常な愛情ですから」と言われたという。まさにそのとおり。本書には5人の異常な監督と一人の異常なライター。そして変態編集者によって書かれた異常な世界が待っている。異常にして愛すべき世界。だからサッカーは止められない。

 

 

○「サッカー人生ではいろんなことがあって、いろんな批判を受けて、いつか終わるときが来る。でも、世間に何を言われようが、終わるときに自分が『ああ、しあわせだった』と思えればいい。もしも結果を出せる監督になれたとしても、その人のために陰で人生を無駄にしている人がたくさんいるようなことになるなら、俺はそんな生き方はしたくない。……この人は結果は出なかったけど、人としていろいろ助けてくれたりいろんなことをしてくれたな、というほうが、俺は絶対いいと思ってるから」(P56)

○試合後、敵将は「守備も何も、人がいなかったよね」と苦笑いするしかなかった。いやいや、あなたがそこを整理してやらなきゃいけないんじゃ……とツッコみたくなるところだが、そのマッドさこそがまさに風間八宏。「相手に攻撃させなければ守備はする必要がない」という究極の理論を、実際にピッチに落とし込もうとする。彼の辞書に「机上」という“まやかし”は存在しないのだ。(P108)

○「この試合でこういう狙いをもって戦う中で、なぜおまえをここに置くのかという意図は必ず伝える。……それ以上のことは求めていないから、それ以外はボールをさわらないで、くらいまで言うこともある」/笑いながら言うが、選手にしてみれば完全な「駒」扱いだ。だが、「駒」として役割を演じきることが、このチームでのいちばんのサッカーの楽しみ方なのかもしれない。チーム全員で示し合わせた狙いがハマって相手に仕事をさせなかったときの、あの格別な爽快感。北野監督はそれを味わわせてくれる指揮官だ。(P147)

○何がどう転んでも苦労を背負い込む運命にあるのだろうか。サッカーの監督にはそういう”体質”の人が多い。……田坂和明監督もそうだ。「誰かがやらなきゃいけないのなら、俺がやる」とばかりに火の中へと飛びこんでいく。そこに火中の栗があることを信じているのか、そもそもそんなものはアテにしていないのか。そしてむしろそんな逆境に身を置くときのほうが、彼らは揃って例に漏れることなく、より生き生きと輝くのだ。(P172)

○信号のない交差点を無秩序に進んでいける人たちもいて、それはそれでひとつの文化だ。/目指す方向があるからこそ、ジレンマが生まれる。自分のコントロールできないことを考えても仕方がないことはわかっているから、変えられるものを変えてゆく。意図したものとは違った方向に転がった結果も、ミスも成功もひっくるめて受け入れた上で、自分の立つ位置を決めてゆく。その連続がサッカーで、生きるということだ。(P265)