とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

日本サッカーを強くする観戦力

 「フットボール批評」のプレゼント抽選に当選し、送られてきました。ありがとうございます。でも、どうしてこの本を選択して応募したんだろう。最近は、自分ではとても買わない本、図書館にもなさそうなマイナーな本をもっぱら選択しているから、そのお蔭かな。でも本書は「観戦力」に関する本ではなく、シュート力、決定力に関する本だ。どうしてこんなタイトルにした?

 それはさておき、本書では6章にわたり、「習慣」「技術論」「心理」「戦術と育成」「データと現代」、そして最後の第6章ではロシアワールドカップのゴール分析という構成になっている。興味を引いたのは第1章の「習慣」。ドイツでは子どもたちがリフティングをすることはなく、シュートゲームやミニワールドカップと呼ばれる個人戦のゲームに興じているという。つまり、幼い頃から常にゴールを目指す遊びをしている。ゴールの喜びを知り、いかにゴールを入れようかと考える。こぼれ球でもいい。とにかくゴール。そしてそれを守るGK。ストライカーとGKが育つ訳だ。一方、リフティングやパス交換をして遊ぶ日本の子どもたち。それではゴールは入らない。サッカーはゴールを入れるゲームだということを忘れている。下に引用した中村憲剛の言葉もなるほど。もちろん今は必ずしもそうでもないだろうが、習慣とは実に恐ろしい。

 他にもシュート・タイミングに関するテクニックや結果(決めること)ではなく行動(打つこと)にフォーカスするメンタリティなどの話も面白い。また、グアルディオラから始まるポジショナルプレーについての記述もある。筆者曰く、「その目的は、サッカーの混沌を制すること」(P74)。うーん、わかるような、わからないような。

 これまでも清水英斗には注目して何冊か読んできたが、それらに比べると、各章の内容もやや散漫で、テーマにしっかりと焦点が当たっていない。タイトルも変だし。出版社の問題かな。あまりサッカー本を出版していないようだし。うーん、清水さん、しっかりしてよ。

 

日本サッカーを強くする観戦力

日本サッカーを強くする観戦力

 

 

○ドイツで……しばしば見かけるのは、シュートゲームだ。……列の先頭にいる子が、ダイレクトシュートを打ち、外したらGKを交代。……あるいは……全員がピッチに入ってプレーする個人戦……ゴールを決めた個人が1点を得る。……これらのドイツ遊びに共通するのは、ゴール、シュート、GKが存在すること。……対して、日本の子どもが空き時間にやるサッカーは、リフティングを筆頭に、ゴールを使わない内容がほとんどだ。……すなわち、習慣の差。核心的な要因である。(P21)

○必ずしもGKを見る必要はない。ゴールとは違い、人間は動く。ならば、その性質を利用して、相手の動きをコントロールすればいいわけだ。/「GKの動きにフォーカスしちゃうと、うまくいかないんです。……GKを見れば、GKの正面に吸い込まれてしまうんです。……だからGKの動きを想定し、状況をつくって打つ。このようなテクニックも、周りを見る時間を省き、タイミングで先手を取ることにつながる。(P41)

○2009年ごろ……当時、中村憲剛に直球をぶつけたことがある。「なぜ、シュートしないんですか?」と。/その答えが、おもしろかった。/「なんでだろう? とっさにパスを選んでしまうんですよ。身体が勝手に。自分でも打たなきゃとわかっているんだけど」/非常に率直で彼らしい答えだった。そして、これは的を得ている。習慣なのだ。(P52)

○シュートとは”フィニッシュ”だ。終わりを意味する。シュートを打ったら攻撃が終わり、ボールが相手に渡ってしまう。……つまり、シュートを打てば、高い確率で相手に攻撃権を明け渡すことになるのだ。それだけの責任を背負う覚悟があるのか。あるいは、そんな責任を知らんぷりして割り切れる図太さがあるか。/そのどちらかがなければ、チャンスになっても迷いが生まれ、シュートを打つ絶好のタイミングを逃してしまう。(P53)

○「昔のサッカーはFW主導だったと思うんです。『出せ!』というFWの動きに、MFが合わせてパスを出す。……でも、今は逆です。……MFの判断にFWが合わせている。……MFのタイミングでは、相手のDFも合わせやすいです。MF主導では、本当に怖い攻撃にはならないと思います」/これはレベルの低いサッカーと、レベルの高いサッカーの分水嶺だろう。……FW主導のサッカーで、FWが要求しなければ、サッカーの質を高めるには限界がある。(P59)