とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

あとは切手を、一枚貼るだけ

 奇数回の手紙を小川洋子が書き、偶数回の手紙を堀江敏幸が書き、そうして14通目で終わる。一通めは、「昨日、大きな決断を一つしました。まぶたをずっと、閉じたままでいることに決めたのです。」(P7)という書き出しで始まる。そしてドナルド・エヴァンズの架空の切手の話題、アンネ・フランクのことなど。

 一通めは小川洋子が書くが、二人の間で最初にどういう内容にするのか、打合せはあったのだろうか。設定は決めず、まず小川洋子が女性からの手紙を書く。それに呼応し、堀江敏幸が男性からの手紙を続ける。そうして書き連ねていったのではないか。だから最初、小川洋子には(堀江敏幸にも)、二人が別れた恋人同士で、二人して両目が使えず、女性は全身の筋肉が衰えていく難病にかかっており……といった設定はなかったのではないか。

 小川洋子は「私とあなた。私たち」と書き、堀江敏幸は「ぼくときみ。ぼくたち」と書く。「私とあなた」と書く女性の方が自由で、かつ相手を尊重しているのに対して、男性の側は受け身で、かつ不遜な感じが付きまとう。それは小川洋子がジャンケンに勝って先行を取ったから? 「不利を承知で先行を取りました。」(P25)と書かれているけど、いやどう考えても後攻の方が不利でしょ。そう考えれば、堀江はよく健闘したというべきか。

 小川洋子が自由に想像力の羽を広げるのに対して、堀江は何とかそれに対応しようと新たな話題を付け加える。一通めにドナルド・エヴァンズを出した小川に対して、堀江は二通目に盲目の写真家、ユジェン・バフチャルを出して応戦する。すると三通めで小川はジョゼフ・コーネルやロベール・クートラスを出してくる。四通目で堀江がソヴィエト連邦の政変を宇宙で迎えた飛行士クリカレフを登場させれば、二人でK町の素粒子観測施設の見学会に参加したと言い出したのは五通めの小川だ。それから少しずつ、二人で経験した過去の思い出が綴られるようになり、海の事故で姪を亡くしたことや二人の子供を堕したことなどが明らかにされる。いや、これを書いたのも小川。堀江は最後まで翻弄され、亡霊のように女性を登場させて、この作品を閉じる。

 別に勝負をしているわけではないが、小川洋子の完勝ではないか。「おわり。さようなら。・・・ぼくはもう手を伸ばして拭ったりしません。」(P289)という堀江の最後の文章がまるで敗北宣言のように聞こえてきた。

 

 

○「んんんんんんんんんんんんんんん……」/相づちを打っているようでもあれば、小首をかしげ、優しく問い直しているようでもある。考えあぐね、答えを保留し、時間を稼いでいる。すべてを肯定し、許している……。さまざまな読み方ができるでしょう。しかしこの手紙に記されているのは、ここに言葉はない、ということです。・・・私があなたに届けようとしているのは、つまりそういう手紙です。(P14)

○政変の三ヵ月前、船長のアルゼバルスキーとともにソヴィエト連邦の宇宙飛行士として飛び立ったクリカレフは、国境のない、どこにも属さない場所で祖国の消滅を目の当たりにしたのです。・・・前代未聞の出来事です。上も下もない、重さが虚構に属する世界には、行動の軸がありません。そこでは言葉の重みもなくなってしまうのでしょうか。それとも、「重さ」のない世界だからこそ「重み」が増すのでしょうか。(P71)

○ぼくたちが人としての安定を見出しうるのは、足裏に接する大地ではありません。揺れ動く水の上か、その揺れを持続できる環境においてのみです。実際、ふたりの共有する思い出に足場のしっかりしたところは、あまり多くないはずです。・・・地に足のつかない場所で、ふたりは言葉を交わしあってきたのです。(P146)

○永久に消えてしまった存在を、不在という言葉に置き換えるのはあまりに安易です。言い換えの暴力が許されるなら、人は罪をいくらでもごまかして、楽に生きていくことができるでしょう。ぼくたちの暮らしに必要なのは他者への想像力であり、それは暴力的な言い換えを拒むことだと、何度も確認しあいましたね。言葉だけではありません。表現とはなべてそうしたものです。(P273)

○ぼくたちはまだ、たがいに遠くにいて、たがいの殻を破れず、生まれる前の頼りない声を伝えあっているだけなのでしょうか。俗に言う愛なるものがすでに別れの準備であるなら、別れたあとに流れてくる空気にも、あたらしい愛が隠れているのでしょうか。(P281)