とんま天狗は雲の上

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人口減少社会のデザイン

 イントロダクションで、広井教授を中心とする研究グループが公表した「AIを活用した日本社会の持続可能性と政策提言」に関する研究成果が紹介されている。

 私はてっきり、本論でその内容を説明していくのだとばかり思って読み進めていった。第1章「人口減少社会の意味」では、若い世代のローカル志向や「グローバル定常型社会」について語られる。第2章「コミュニティとまちづくり・地域再生」では「高齢化・人口減少社会におけるコミュニティと都市のあり方」の未来予測と「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」が紹介され、「ポスト情報化」としての「生命/生活」が基本コンセプトとなる時代へ向かいつつあるという認識が語られる。

 第3章「人類史の中の人口減少・ポスト成長社会」ではヤスパースや伊藤俊太郎の仕事を振り返る。これは以前「人口減少社会という希望」で書いていたことに近い。そして「ポスト資本主義のデザイン」として、“義務としての経済成長”から解放された、「創造的定常経済」こそが「結果として経済の活性化や好循環につながる」という社会を構想する。

 第4章「社会保障と資本主義の進化」、第5章「医療への新たな視点」と具体的な政策提言に及ぶに至り、これは当初抱いていた「AIを活用した日本社会の持続可能性と政策提言」を説明する本ではないということにようやく気付いた。研究をきっかけとして、筆者がこれまで発表してきた著作での構想などをまとめたものであり、「AIを活用・・・」で示された「地方分散型」という選択の必要性とその内容を具体的に書き表したものである。

 第6章「死生観の再構築」では、時間の三層構造から「生と死がつながる」グラデーションとしての死生観へと書き進める。第7章は「持続可能な福祉社会」。「ポスト資本主義」でも書いていたことを再びここに書き起こす。「ローカル」と「ユニバーサル」をつなぐ「グローバル」。そして「自然」こそが「地球倫理」につながる普遍的な原理になり得ると構想する。「人口減少社会のデザイン」とは、具体的な社会システムの提案ではなく、デザイン・マインドの根本哲学に関する構想であり、提言である。

 結局、本書ではこれまで提示してきた広井哲学を改めてまとめ直したものと言えるだろう。「ポスト資本主義」では唐突な感じがあったものが、本書ではかなりこなれた感じがする。「自然こそが根源」という広井式「死生観」。理解はするが、同意できるかはこれからよく考えてみよう。「死生観」があって「社会システム」も構想されると言っていいのだろうか。その点も一度よく考えてみたい。

 

 

人口減少社会のデザイン

人口減少社会のデザイン

 

 

○AIを活用した日本社会の未来シミュレーションを行い……日本が2050年に向けて持続可能であるための条件や……政策を提言する内容の成果をまとめた。/そこでは興味深いことに、日本社会の持続可能性を実現していく上で、「都市集中型」か「地方分散型」かという分岐がもっとも本質的な選択肢であり、また人口や地域の持続可能性、そして健康、格差、幸福等の観点からは「地方分散型」が望ましいという結果が示された。(P35)

○私たちが現在直面しているのは、“高度成長期に起こったこと(大量の若年世代の首都圏流入)”が、数十年のタイムラグをへて別の形で顕在化しているという事態である。……そうした時代においては、政府は首都圏周辺に大規模な団地を大量に造成するなど、文字通り“国を挙げて”若年世代の首都圏流入を支援したのである。したがって……今度は高度成長期に匹敵する規模の、かつ“逆向き”の支援策を積極的な形で行ってこそ……高度成長期の「負の遺産」を乗り越えていくことができるのである。(P100)

○もっとも表層にあるのが「直線的な時間」で、その底には回帰する円環としての時間があり、さらにその底に、もっとも根底的な「深層の時間」が存在すると考えてみてはどうだろうか。/そうした「深層の時間」は……もっとも底にある不動の部分であり……“不変のもの”ともいえる。……そうした深層の時間は最終的には「死」とつながるもの……ではないか。/私たちは「生と死」……を……対立物と考えがちであるが……むしろ連続的なものであり、私たちの生は、深層の時間において死とつながっているのではないだろうか。(P263)

○「持続可能な福祉社会」とは、「個人の生活保障や分配の公正が実現されつつ、それが環境・資源制約とも調和しながら長期にわたって存続できるような社会」を意味している。……成熟・定常化あるいは人口減少の時代においては、持続可能性に関する「環境」の視点、富の分配の公正に関する「福祉」の視点を総合的に見ていく必要があるのだ。(P282)

○本来の意味の「グローバル」とは……地球上の各地域の「ローカル」な風土や文化の多様性を積極的に評価しつつ、ヒトの種としての「ユニバーサル」な普遍性の中で文化の多様性が生成する全体構造を俯瞰的に把握することを意味するはずではないか。/つまり、「ローカル」…と「ユニバーサル」…を架橋ないし総合化する理念として「グローバル」ということが考えられるのであり、……ローカルな場所から出発しながら、有限な地球において文化や資源が互いに共存していくような社会システムの構想が求められている。(P302)