とんま天狗は雲の上

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「表現の不自由展」の再開に寄せて

 あいちトリエンナーレで問題となってきた「表現の不自由展」が再開された。とは言っても、トリエンナーレ自体が14日までなので、明日には閉幕する。

 基本的に私の意見は、「『表現の不自由展・その後』で展示されたもの」、及び「『あいちトリエンナーレ展』のその後を危惧する」で書いたとおり、「表現の不自由展」自体は否定しないが、次回トリエンナーレ開催への影響について危惧するというものである。これらの記事は、展示中止直後の8月に書いたものだが、その後、文化庁補助金中止決定などの問題を起こしつつ、8日に展示再開となるなど、予想していなかった展開となっている。正直、私は、再開はあり得ないと思っていた。鑑賞者の安全確保や県庁への電凸などを回避するのは難しいと思っていたからだ。だが、それらの課題について対応策を巡らし、今のところ大きな問題もなく開催ができている。それはいいことだとは思うが、一方で今後に向けては新たな課題も浮上したように思う。

 そもそも、今回のあいちトリエンナーレについては、大村愛知県知事が独断で津田大介の起用を決め、津田大介の暴走、すなわち政治性の高い作品を展示することに伴う影響と対策等を十分検討することなく「表現の不自由展・その後」の展示を決め、大村知事もそれらの影響などを見逃し、そして8月以降の事態に陥ったということは、日頃の知事の言動などから容易に想像できる。たぶんその間、県職員や展示会関係者から多少の危惧や意見はあったろうが、たぶん聞く耳をもたず、独裁的に事は進められたのだろうと思う。その点では、電凸を受けるなど、多少なりとも関わった職員には同情したい。

 先にも書いたとおり、正直、私は展示を再開するとは思ってもいなかった。表現の自由を求める者たちの再開要求に対して、鑑賞者や県庁職員等の安全などを理由に最後まで再開は認めないという選択肢はあったと思うが、大村知事はどう判断したものか、わずか1週間とは言え、今回、展示を再開した。しかしこのことで、今後、右翼的なアート(というのがあるのかどうか知りませんが)やヘイトな表現に対して展示を断ることが困難になるのではないだろうか。

 考えてみれば、今回の展示は「『表現』の不自由展」であって「『芸術表現』の不自由展」ではない。もちろん今回展示されたものはいずれも芸術作品だろうが、ではどこまでが芸術作品で、どこからが単なる表現物なのか。その区別は難しい。今回、昭和天皇の肖像を焼き捨てる内容の映像作品に批判が集まっているが、軍靴響く行進やナチズム賛美の映像作品は展示できないのか。「表現の自由だろ」と言われれば拒むのは難しくならないか。

 逆に言えば、津田大介や大村知事はあくまでもジャーナリストとして、また政治家として、表現の不自由問題について問題提起をしたかったと思うが、それを芸術展という場で行ったことで、「芸術とは何か」「芸術はどこまで許されるのか」という点について問われる事態となった。津田大介や大村知事はどういう考えでいるのか。その点がきちんと公表されないまま、再開されたことに対し、危惧の念を覚える。閉会後にでもこの点について何らかの発表や報告がされるのだろうか。あいちトリエンナーレのあり方検証委員会の最終報告に期待したい。