とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

すばらしい新世界

 「一九八四年」と並ぶディストピア小説の歴史的名作と言われるが、発行はなんと1932年。今から90年近くも前にこんな作品が書かれていたとは、すごい。まずはそのことに驚いた。

 読んでみると、内容は「一九八四年」とまったく違っている。「一九八四年」は情報操作や洗脳により大衆支配する政府を批判的に描いていたが、こちらは科学の力により幸福を追求した社会を描く。しかしもちろん単にバラ色の世界ではない。幸福を追求した結果、科学と真実と芸術と宗教は否定される。この未来都市において異端だった4人のうち、真実と芸術を求めた二人は島流しとなり、科学を追い求めた者は科学を捨てて世界統制官となった。そして、野人保護区で育ったジョンは宗教を求めた結果、自殺する。

 もちろんどんなに科学が発展しようとも、科学により幸福な社会を作り出すことは不可能だ。だが同様に、真実や芸術や宗教によっても幸福な社会を作り出すことはできない。そして本書で描かれた「すばらしい新世界」が本当に幸福なのか。人間にとって幸福とは何なのか。そんなことを思わずにはいられない。人間にとっての幸福と幸福な社会は違うのかもしれない。

 SFだが、それだけに留まらない。「訳者あとがき」によれば、20世紀を代表する英文学のベスト5に選ばれたという。確かにそれだけの価値がある。しかも読み易い。読むべき古典の一つと言える。

 

 

○同一の型から生まれた標準的な男女。ボカノフスキー処置された卵一個が生み出す労働力で、小規模な工場ひとつをまるごと稼働させられる。/「96人のまったく同じ多胎児が、96台のまったく同じ機械を操作する!……共生、個性、安定……ボカノフスキー化を無限に推し進めることができれば、あらゆる問題は解決する……大量生産の原理がとうとうセイブル額に適用される。(P13)

○彼らの世界は、正気と高潔と幸福に身をゆだねることを許さなかった。母親や恋人がいて、禁止事項を守る条件づけはなく、誘惑と自責、病とはてしない孤独の痛み、不安と貧困がある―つまり彼らは、激しい感情を持つことを強いられていた。激しい感情を持っていては(しかも、どうしようもなく個人的な孤立の中では、感情はなおさら激しくなる)、安定など望むべくもない。(P59)

○社会常識を逸脱した行為ほど憎むべき罪はない……。殺人の罪は、ひとりの個人を殺すだけのこと……個人など、いとも簡単に新しくつくりだせる……。他方、社会常識からの逸脱は、一個人の生命を脅かすにとどまらず、社会そのものを危険にさらす。そう、社会そのものを(P204)

○われわれは変化を望まない。あらゆる変化は、安定を脅かす。……科学における発見は、どんなものでも、破壊につながる可能性を秘めている。……真実は脅威だし、科学は大衆にとって危険だ。もたらす恩恵と同じくらい大きな危険がある。科学はわれわれに、史上もっとも安定した均衡を与えてくれた。……しかし、だからといって、科学のなしとげた偉業が科学によって破壊されるのを許すわけにはいかない。(P312)

○社会という車輪を安定的にまわしつづけるのは、万人の幸福だ。真実や美に、その力はない。……それでもやはり、当時は……依然として、真実と美を、それが最高善であるかのように語りつづけていた……。ところが、9年戦争を境に、空気が一変した。まわりじゅうで炭疽菌爆弾が爆発しているとき、真実や美や知識になんの意味がある?……しあわせにも代価が必要だ。(P316)