とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「外圧」でしか決められない日本

 東京オリンピックのマラソン競歩の開催地が札幌に変更となりそうだ。もっとも東京都はマラソンのスタート時間を早めるなどの提案をIOCにしているようで、まだどうなるかわからない。でも、アスリートのことを思えば札幌へ変更すべきだろう。「東京の猛暑に備えて準備してきた」とか「猛暑に強い選手を選考したのに」といった声もあるようだが、オリンピックは世界すべての選手のために、そして世界最高峰のスポーツが観られる場だと思えば、猛暑に強い選手だけで競われる大会というのはその趣旨に反する。IOCにも、猛暑に強い選手だけで競われるマラソンでは放映権料の価値が下がるとスポンサー・サイドからの異議があったのかもしれない。

 また、東京が提案の5時スタートでは、コース沿線の人以外、誰が見ることができるのか。アスリートはもちろん、都民にとっても意味のない提案ではないか。今後、この決定に倣って、オープンウォータースイミング、ビーチバレーなど他の競技でも「会場を変更してくれ」という意見が上がってくるかもしれない。「30日からの調整会議での協議に注視したい」と橋本聖子五輪相は言うのだが、橋本五輪相はこの問題にどこまで関わっているのか。

 今回、この方針変更におけるドタバタにおいて衝撃的だったのは、会場変更の提案そのものではなく、IOCからの意見と指示があって初めて、会場変更の決定・検討がされようとしているという点だ。結局、日本は「外圧」がなければ何も変えられない国なのだ。

 先日開催された即位礼正殿の儀では、「前例」という言葉が何度も聞かれた。中でも「恩赦」の是非については様々な意見があり、色々と検討されたが、結局「『前例に倣う』ということで、実施されることになった」と報道されていた。日本人の行動や決定を強く縛っているのは「前例」であり、それを唯一破ることができるのは「外圧」だという構図。

 もっとも昭恵夫人のひざ丈ドレスはさすがに前例にはないだろう。現政府もこれまで散々、前例にない政策を実行してきたように思う。ということは、「前例」というのは所詮、言い訳であり、東京オリンピックのマラソンなども国内的には誰が何を言おうと聞く耳は持たなかったのだろう。それでも「外圧」には弱い。実は、北海道出身の橋本聖子が「外圧」をうまく利用して、今回のIOCの提案を導いたということはないだろうか。だとすれば、「橋本聖子よ、おぬしもやるのう」と言いたくなるところだが、真実はたぶん闇に葬り去られることだろう。