とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

いまどきの死体

 法医学者として、日々、多くの遺体の解剖を行っている筆者が、解剖を通じて見えてくる、現代日本の課題や死者それぞれの人生などを具体的に綴っている。ホテルのベッドの上でエコノミークラス症候群により亡くなった女性。交通事故によるハンドル損傷で、三日後に突然、腹膜炎で亡くなった男性。解剖の結果、自殺ではなく他殺であることがわかった事例。虐待死と病死の判定。解剖によりわかる事実は多い。

 こうした事例だけでなく、息を止めなくても砂に首から下が埋まることで胸腔圧迫により窒息すること、あざ(皮下出血)は時間経過により色が変化すること、胸腺という子どものときだけ存在する臓器があることなど、医学的知識も詳しく書かれており、勉強になる。そして興味深いのは、解剖を受ける人の約3割は精神疾患を持っているという統計的事実。精神疾患を持つ患者とその家族に対する社会的ケアが不十分な現状を訴えている。

 先に読んだ「死とは何か」でも、解剖学者の養老孟司が同じようなことを言っていたが、筆者も「自分の死を見たり、聞いたりすることはできない。自分にできることは最後まで生きることだけなのです」(P175)と書いている。日頃から遺体を見続けていると、そういう心境になるものなのか。「遺体は……見てしまえばなんということもない」(P167)という記述もあり、少し驚いた。そうなのか。確かに普通に病死した人の遺体はそうだろうが、解剖するような遺体については、腐乱したものなどかなり無残なものもあるだろう。それでもそういう境地になれるということが興味深い。

 日頃から「死」に直面して生きているということ自体が凄いことだ。そしてそんな筆者が書く「人間ができるのは、『生きる』ことしかありません」という言葉の重さを改めて感じる。私も日々、精一杯「生きていこう」と思う。

 

いまどきの死体 法医学者が見た幸せな死に方

いまどきの死体 法医学者が見た幸せな死に方

 

 

○私の施設では、解剖台に運ばれて来る人のうちの約3割が精神科の治療を受けていました。……私が解剖した精神科の通院歴のある人の中には、病気で亡くなった人もいます。犯罪の被害者として亡くなった人も……自殺する人もいます。法医学の現場で、精神科の患者さんの死を見ていると、精神疾患を持っている人を取り巻く環境に大きな問題があるように思われてなりません。/精神疾患を持つ患者を抱える家族が社会から孤立していることが、事件を引きおこす要因になり、問題を深刻にしているように思えてなりません。(P051)

○最近では、認知症の人を解剖することが多くなりました。私たちの解剖室に運ばれてくる人の約5%は認知症を患う人です。……認知症の人が亡くなっているのは、海辺や河原などの水辺が多いといわれています。……かつては「徘徊」という言葉が……使われていましたが……認知症の人は家を出るときにはしっかりとした目的を持っています。……途中で自分がどこにいるのかわからなくな……るの……です。(P101)

○心臓の上のほうに「胸腺」という臓器があります。真っ白な臓器で、子どもでは40グラムほどあります。大人になると小さくなり、脂肪に変わっていきます。胸腺は免疫系の機能を果たす重要な臓器ですが、ストレスが加えられたときには重量が減ります。虐待を受けていた子どもの胸腺は小さくなることがわかっています。(P111)

○遺体は……見てしまえばなんということもないのですが、見ないものだから……遠ざけているのです。……しかし、死は必ずやってきます。……避けて通れない上に、いつやってくるのかもわからないのです。それをあれこれと考えることに意味はないように思います。時間の無駄です。人間ができるのは、「生きる」ことしかありません。最後までそれしかできないようになっているのです。(P167)

○遺族のようすを見ると、死は本人の問題というよりもまわりの人の問題だということを感じます。亡くなった本人……は嘆き悲しむことさえできません。涙を流すことができるのは、遺族です。涙を流すのも、生きることの一つということです。……自分の死を見たり、聞いたりすることはできない。自分にできることは最後まで生きることだけなのです。(P175)