とんま天狗は雲の上

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戦争の記憶

 日韓関係が依然、回復していかない。韓国からのアプローチはあるようだが、日本政府の対応が硬直的だ。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」に対する政府の対応も、歴史問題に対して硬直的な姿勢を感じる。何に対して硬直的なのか。「歴史」に対して。若しくは、自身の「記憶」に対して。こうあってほしい「歴史」。こうであったに違いない「戦争の記憶」。コロンビア大学歴史学教授であるキャロツ・グラック氏が、出自の違う多くの学生たちと語り合い、「戦争の記憶」の正体について明らかにしていく。

 「歴史」というのはあくまで過去のことをその時点で明らかにしようという試みであり、それを振り返る人の立場で全く違ったものになっていく。これはもはや「歴史」ではなく「記憶」であり、それぞれの国にはそれぞれの「国民の物語」がある。第二次世界大戦を題材に、出自の異なる各学生がそれぞれどう見ているのか。それはどういう情報や学習によってそう考えるようになったのか。そういった学生個々の体験・見識を問うことで、「歴史」と思っていたものが単なる「記憶」であり、それは様々な方法によって作り出されていることを明らかにする。

 「共通の記憶」の領域には4つある。オフィシャルなもの、メディアなどの民間によるもの、祖父母などから伝え聞いたりした個人の記憶、そしてこれらの記憶をベースに作り出されるメタ・メモリー。しかしこうして作られた各国の国民「共通の記憶」は、グローバル化の時代の中で国境を超え、「世界的な記憶の文化」を作っていく。アジア太平洋戦争中の慰安婦の問題は、既に「人権や女性の権利擁護」という視点から戦争の悲惨さを象徴する「世界的な記憶の文化」となっていると指摘する。つまり、今や慰安婦問題を否定しようとすることは、南京大虐殺の否定と同様、歴史上の真実か否かとして争われるものではなく、「世界的な記憶の文化」を否定しようとする試みであるのだ。

 戦争時の軍隊における売春組織は世界中にどこでもあった。民間人に対する虐殺も第二次世界大戦時には世界のどこでも行われた。それは当たり前のことだった。しかし、1970年代になって初めて、ホロコーストが世界の記憶となり、1980年になって初めて、慰安婦が世界の記憶となった。そして同様に、過去に対する「謝罪の文化」も育まれていった。そうした世界の歴史認識を踏まえてこそ、歴史問題に係る外交は展開されるべきである。自国の「国民の物語」をいつまで振り回していても、それは世界外交の中では却って逆効果になっているのかもしれない。

 本書の最後に、「私たちにはより良い将来に向けて努力する責任がある。なぜなら、私たちが作り出せるのは未来だけだからだ」(P189)という文章がある。そして「開かれた対話こそが…共通の未来を創造するための道で…ある」(P197)という言葉で締めくくられている。歴史は世界の人々にとってより良い将来を作り出すためにこそ使われるべきものなのだ。

 

戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話 (講談社現代新書)

戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話 (講談社現代新書)

 

 

○戦争の記憶には現在、インターナショナルでありグローバルな側面…「世界的な記憶の文化」が生まれている…現在、国家元首から自国民…あるいは…他国の人々に対して…謝罪というものが求められている。これが、世界的な記憶の文化による結果の一つです。…さまざまな場所の先住民たちは、この「謝罪の政治」がなければおそらく謝罪を得ることはなかったでしょう。…国際的にそう期待されている…今はこの期待を無視できなくなってきているのです。(P46)

○記憶に変化が起きる決定的な要因は、国内政治と国際政治です。…なぜ記憶の変化が起きたのかを知るには、政治のクロノロジー(流れ)…「時」を見ないといけません。…まさに、「原罪が過去を変える」ことがあるのです。(P91)

○日本政府が慰安婦像に抗議すればするほど…全米的に報じられれば報じられるほど…一般のアメリカ人もこの問題を認識するようになる。/「慰安婦」は…今や国境を超えて過去における戦争の記憶の一部となり、将来に向けては人権や女性の権利擁護という視点からも語られるようになった。もはや慰安婦像があろうがなかろうが、グローバルな戦争の記憶から消えることはないだろう。(P145)

ホロコーストの記憶が広く根付いたのは1970年代のことだ。慰安婦が記憶に取り込まれたのは、1990年代。この二つが広く知れわたるようになると、ホロコーストの記憶はジェノサイドに対する世界の見方に変化をもたらし、一方、慰安婦の記憶は戦時における女性への暴力に対する見方を変化させたのであった。(P146)

○私たちは、自国とほかの国々で何が起きたのかを知り、国内と国外の両方で異なる視点を理解し、尊重すべきは尊重し、悪いことは悪いと認めるべきだろう。そして私たちには、責任がある―過去に誠意をもって対処するだけでなく、より良い将来に向けて努力するという責任だ。なぜなら結局のところ、過去は過去であり、私たちが作り出せるのは未来だけだからだ。(P189)