とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

俺たちはどう生きるのか

 「悪い人間なんていないよ。人間は悪いことをするときがあるんだ」。ずいぶん前に大竹まことが言った言葉を今も強く覚えている。このことを書いた「法令順守よりも組織の問題」は11年も前の記事だから、もう20年近く前のことか。図書館で大竹まことの書いた本が出ていることを知り、思わず予約した。

 「青春と読書」という雑誌の連載から収録したエッセイ集である。こんな雑誌があることも知らなかったが、1966年創刊というからずいぶん昔からある雑誌だ。雑誌名に「青春」とあるが、きっとほとんどの若者は読んだことないのではないか。

 全部で15編。第1章「昔みたいに」は昔を思い返し、第2章「私たちがそれを選んだ」では時代を嘆き、第3章「傍観者でいるのか」では政権を批判する。第4章「弱者は弱者のまま終わらない」は弱者に同じ弱者として心を寄せ、第5章「ダメな大人の言葉などに耳を貸さぬが良い」では若者に語り掛けるが、たぶん言わずとも誰も耳など傾けていない。年寄りが一人ブツブツと愚痴を唱えているばかり。

 考えてみれば、大竹まことは若い頃からそんな芸風だった。若い頃から年寄りぶっていた。しかし、年を取っても未だに心は若く、社会に反抗的だ。吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を模した本書のタイトルがいかにも大竹まことらしく、その姿勢を伝えている。大竹まこと大竹まこととして生きるのみである。

 冒頭の警句に匹敵する言葉があるかと期待したが、それは見つけられなかった。でもその生き様は尊重に値する。若者には伝わらないかもしれないが、60代の私にはその思いはよく理解できる。まだ70歳。まだしばらくはせいぜい年寄りぶって生き続けることを期待している。

 

俺たちはどう生きるか (集英社新書)

俺たちはどう生きるか (集英社新書)

 

 

○これから日本はとんでもない時代になるだろう。分母が減って、分子が増えるからだ。若い人たちが年寄りを支えなければならない。…本当に大丈夫なのか。/今までのルールが変わるかもしれない。/紫陽花をみることはできなかったが、たぶん、紫陽花は咲いていたのだろう。誰かの家の塀の陰に、もしくは生い茂った雑草に埋もれて。/私の一票も、それと同じで何の役に立たずとも、年寄りは若い人のために投票に行くのだ。(P39)

○「老害は死ネ」とわざわざ言われなくても、もう仕事もさほど多くないし、コメディアンとは、その時代と添い寝した男(女)たちのことだと思っている。持論である。/時代から少しでもずれたら勝手に死んでいくだけである。/そろそろ、そんな局面が来たのかなあと思う。/いつまでもウジウジとテレビなどに出ていたくない。/しかし、「また、あのジジィがやりやがったな、ちくしょう!」とも言われてみたい。(P49)

○私はどこにもくみする者ではない。/与党や野党、そして時の政府にもである。/自由に発言できる場所、好きな音楽を楽しみ、本を読み、演劇を鑑賞する。そして、差別を嫌う。憎むべきは、硬直化したシステムである。そして、一極に権力が集中しすぎている、政治のあり方である。/長い時間がかかる。/その長い時間は我々の成長のためにあると言ってもよい。/無駄にしないことだ。(P146)

○世間の風は思ったよりも温かく、冷たかった。このチンピラはいつもその世間に助けられた。…老人が駅の長い階段の途中で休んでいる。両手に荷物を持った母親が幼い子どもと歩いている。幼子は母のジャケットの端をつかんで離さない。宅配便の配達の人は、大きな荷物が同じエレベーターにのりあわせる人々の邪魔にならないか、細心の注意を払う。(P190)

○すまん、若者よ。君たちに伝える言葉をこの年寄りは持っていなかった。/ぐだぐだと回り道を、それも迷いながら生きてきた男の駄文である。/こんなもの読まずに、女性(男性)でも口説いていたほうがよかろう。/諸君、さらばじゃ。ありがとう。(P192)