とんま天狗は雲の上

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沈黙する知性

 内田樹平川克美の対談集である。この二人が小学校以来の同級生ということは周知の事実。同じ波長の二人がまさに異口同音で話をする。どちらかと言えば、平川氏が最初に話を始め、内田氏が「それはこういうことでしょ」と解説をする感じ。多少の意見の違いはあるが、向いている方向、話している立ち位置が同じだから、その違いは見分けにくい。

 タイトルの「沈黙する知性」は、「私はシャルリー」騒動を中心に、知識人の沈黙について論じた第1章から採られている。第2章は、社会の役割や家庭の解体がテーマ。最も長い第3章は、村上春樹について論じる。が、正直なところ、あまり面白くない。村上春樹自身が賞味切れかもしれない。それに対して第5章では、吉本隆明を語りつつ、カズオ・イシグロの話題となる。これが本書の中でもっとも興味深かった。国家が個人に作用して過ちに導く歴史の残酷さ。カズオ・イシグロはイギリスの吉本隆明だ。

 他に小林秀雄論や原発論などもあるけれど、対談だとやはり話題があちこちへ飛んで分かりづらい。でも対談集は心地よく読み終えることができればそれでいい。個人的には、新しいカズオ・イシグロの見方を知っただけでも収穫だった。

 

沈黙する知性

沈黙する知性

  • 作者:内田 樹,平川 克美
  • 出版社/メーカー: 夜間飛行
  • 発売日: 2019/11/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

○【内田】「表現の自由」というのは、静止的、固定的な原則ではあるまい。表現の自由はつねにさらなる表現の自由を志向するものでなければならない。/表現の可能性を押し広げ、多種多様な作品を生み出す生成力によって生気づけられているからこそ、「表現の自由」は尊重されなければならないのである。(P13)

○【内田】国家の意志はそれまでは国王個人の意志のことだったわけで、「共同体成員の総体として有する意志」なんて概念は存在しなかった。だから、フランス革命の頃に…「一般意志」という言葉が発明された。…今の民主国家では、国家の「一般意志」と「国民一人ひとりの特殊意志」が乖離している。…「国がどうなっても知らん、オレはひとりでも生き残るよ」というタイプの生き方が市民のデフォルトであるような国で、デモクラシーが生き延びることは正直言ってかなり困難だと思う。(P46)

○【平川】いつでも自分の内部に「闇」の存在を感じているということはとても大切なことのように思うよ。あえて言葉にするなら、強欲だとか、差別感情だとか、嫉妬心だとか、自己に対する過剰な愛だとか、そういったものだよ。そういうものがなくなってしまうと、われわれは、社会に対しても、他者に対しても責任を取ることができなくなる。/そうした…ことと、「マネーやテクノロジーが万能だ」という思想がはびこったことは、おそらく関係がある。(P142)

○【内田】「国民」とか「国家」というのは、個人と世界の間を隔てる一種の遮蔽壁なんだよ。…【平川】そういう意味では、アメリカやイギリスの核家族っていうのは、「むきだし」の個人が表面化しているよね。…だからこそ、それに対応した文化が出てくるし…宗教システムが必要になる。/日本の場合は、長子相続の家父長制ですね。個人というものは、家というシステムに遮蔽されている。(P256)

○【平川】吉本やイシグロがやったことは…当事者たちが機縁によって導かれてしまうことになった不幸から、いかにして彼らの個人的な倫理を救い出すことができるかということだったんじゃないか…これは…国家という幻想共同体が、どのように個人に作用して、誤りへと導かれていくかという歴史の残酷さを浮き彫りにしてゆく作業だ。/作家の仕事は断罪することではないよね。機縁によって半ば無意識のうちに陥ってしまったところから、当事者の人間性を救い出してやることならできるかもしれない。(P330)