とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

文明の接近

 平川克美の「経済成長という病」を読んで、エマニュエル・トッドに興味を持った。できれば「帝国以降」から先に読みたかったが、貸出中だったので2008年発行のこちらが先。
 宗教対立が「文明の衝突」を引き起こすというハンチントンの説に反して、識字率出生率の二つの指標が国の近代化の状況を示すことを根拠に、イスラム原理主義は西洋各国にも共通する近代化移行期に特有の一時的な現象であると主張し、近代化時期の遅速の差が現在の状況を引き起こしているが、世界的に近代化が進めば文明は衝突することなく「接近」していく、というのがトッドらの主張だ。
 そのためにイスラム圏と言われる各国の状況を具体的に検証していく。サウジやイラク・シリア・レバノンパレスチナから地中海沿岸のアフリカマグレブ諸国等のアラブ圏、トルコ・イラン・パキスタンアフガニスタンバングラデッシュのアラブ圏以外の大中東圏、アゼルバイジャンからアルバニア等に至る旧共産圏の国々、マレーシア・インドネシアの東アジア、そしてサハラ以南のアフリカ。
 民族的な対立、宗教的な状況、経済発展の状況や国際関係等により、必ずしも識字率出生率の理論がそのまま適用できない国もあるが、その特殊要因を書き起こしつつ、それでもイスラム教の特殊性が対立の原因ではなく、近代化への移行期危機が対立を引き起こしていると説明していく。
 前後のインタビュー記事を除くと、まるで学術書を読んでいるような感じだが、こうしてイスラム圏の世界旅行をしていくのもまた興味深い。イランはアラブ圏ではない、というのは一般の日本人の感覚とかなりずれているのではないか。
 巻末の訳者解説が丁寧でわかりやすい。楽観的すぎるという批評も取り上げつつ、未来への希望を語る。「帝国以降」が楽しみになってきた。

文明の接近 〔「イスラームvs西洋」の虚構〕

文明の接近 〔「イスラームvs西洋」の虚構〕

●日本人は論争に介入して、西洋人―つまり欧米人―に対して、近代性は彼ら西洋人だけのものではないということを「思い起こさせる」のに、とりわけ絶好の立場にあると思うのです。(P3)
原理主義は、宗教的信仰の動揺の過渡的な様相に過ぎない。・・・宗教の退潮と原理主義の伸張が時間的に合致するというのは、古典的な現象である。神の存在の疑問視と再確認とは、同じ現実の二つの面に他ならない。(P53)
●今日イスラーム圏を揺るがしている暴力を説明するために、イスラーム固有の本質などに思いを巡らす必要はいささかもない。イスラーム圏は混乱のただ中にあるが、それは識字化の進展と出生調整の一般化に結びつく心性の革命の衝撃にさらされているからに他ならない。(P69)
アイルランドカトリック教は、プロテスタントイングランド人・スコットランド人の侵入がなかったなら、あれほどに強烈なものになったであろうか。宗教はその本性からして、神との関係であると同時に集団的な信念であるが故に、イデオロギーの道具としての利用に対して効果的な適性を有する。集団に貼られた宗教的レッテルは、形而上学的信仰が消えたのちにも生き残ることがある。(P230)
●今日、経済のグローバル化によって不安に陥った世界において、分類し、分離し、そしてもちろん断罪しようとする誘惑は強い。・・・人口学は、このような道具化された偏執病から人々を解き放ち、もっと先まで進むことを許してくれる。世界各地の住民は、文明と宗教を異にするけれども、収斂の軌道に乗っている。(P256)