とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

サッカー批評(54)

 また買い遅れてしまった。隔月刊化にいまだに慣れない。今号の特集は「2012年 日本サッカーの設計図 創造性なきサッカーに未来はない」。大分トリニータで成果を出し、2012年からJ1再昇格なったFC東京の新監督に就任したポポヴィッチサンフレッチェから浦和レッズに移籍したペトロヴィッチ。巻頭、美しい攻撃サッカーを標榜する二人の新監督へのインタビューから始まる。
 ブラジル人・マリーニョとアルゼンチン・サッカーに精通する亘詞との対談「サッカーを遊ぶ南米、サッカーを遊ばない日本」も面白い。サッカー戦術と選手の創造性の次は、チームの創造性。フロンターレの独創的なプロモーション、ファジアーノ岡山の集客力、買取オプション付き期限付き移籍による長友の移籍で2億円の移籍金を得ることに成功したFC東京の移籍戦略など。
 だが今号で特に面白いのは、連載記事だ。「Hard After Hard」は地元愛を燃やす鈴木隆行特集の前編。小田嶋隆のサッカー番組向上委員会もいつもの小田嶋節が面白い。そして絶好調なのが、サッカー時事漫才「僕らはへなちょこフーリガン」。マスコミによるなでしこジャパンの取り上げ方からナショナリズム論を展開する。この哲学的展開の面白さ。
 いつもは淡々と読み進める《私的・フットボール温故知新》Football ORIGINAL SOUNDTRACKまでが面白い。イングランドの小英国主義を皮肉り、批判する。今年は五輪イヤーだ。イギリス代表は結局イングランド代表になってしまうのか。
 隔月刊になって特集記事はややマンネリ感もないではないが、それを補って十分な連載記事がある。来月は「欧州サッカー批評」だ。うーん、これはたまらん。何がって? 金が、です。

●「向こうではサッカーに限らずスポーツってのは遊びです。・・・日本ではサッカーは競技。だからパスから入る。・・・本当は子供たちにゲームばかりやらせればいいんです。・・・ブラジルの場合はうまい人が練習する権利がある。・・・他は練習させない。『だってお前、選手になれないから。いらないよ。遊びでいいじゃん』と」(P037)
●「朝鮮語が書いてあるものはすべて没収されました。2時間くらいかけて、スーツケースを全部開けられて、・・・政治的なことは理解しているつもりだし、ある程度チェックが厳しくなるのはしょうがないと思っていましたが…。Jリーグでそれなりに活躍し、評価されたと思っていたけど、朝鮮代表として戻ってきてこんな風になるなんて、想像もしていなかった。・・・」そう話すチョン・テセの表情はどこか残念そうに曇っていた。歴史的一戦で“アウェイの洗礼”を浴びたのは、決して日本だけではない。(P085)
●毛虫を踏み潰す人間は貴重だし、それができない人間にも価値がある。メンバーの個性がそれぞれに違っているからこそチームはチームとしてまとまることができる。そういうものなのだ。(P113)
ナショナリズムという厄介な概念を「観念的ドグマとしての原理的ナショナリズム」と「世界と関わる手段としてのナショナリスティックな視点」とに分けて考えるべきだ、という意見には賛成だ。・・・そもそも戦後日本のメディアや知識人てのは、その二つをたぶん意図的にごっちゃにしてきたんだろうな。・・・「ナショナリスティックな視点」というのは複眼的で多様な日常的視点と自由に組み合わせることによって、いろいろ柔軟かつ有用な使い道があるはずなんだ。(P119)
●「ドーヴァー海峡の白い岸壁を越えてまでフットボールをする価値がどこにあるだろうか」・・・このような考え方を「小英国主義」という。・・・そして、この独善的で狭量なリーグ統括機構の“精神構造”は以後も根強く蠢き続け、この約3年後に「取り返しのつかない災厄」を誘発することになるのである。・・・言わずと知れた「ミュンヘンの悲劇」・・・もしあのとき、・・・イングランドのリーグ機構が「無意味で余計な」チェンピオンズカップに出場したために国内のリーグ戦に間に合わない事態などあってはならない、[報告にあるような(軽度の)滑走路上の積雪、氷結]程度では帰国を遅らせる理由にならないと言い張ることさえなかったら―。(P122)