とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

社会を変えるには

 半原発デモの高まりとともに、筆者・小熊英二の名前を聞く機会が多くなってきた。当初はネットの対談相手として名前を知ったが、先月行われた反原発連合と野田首相との面会の場にも同席し、その存在を強く認識した。そうした中での本書の発行。けっこうなベストセラーになっているようだ。筆者がどんな思想を披露するのか、興味を持って本書を手に取った。
 読後感としては、現在に至る社会思想・政治思想を網羅的に紹介する教科書的な本だったなという印象。「ですます」調でひらがなも多く、特に序盤は身近な例示なども加えて、やさしく丁寧に説明をしていくので、非常にわかりやすく引き込まれていく。
 第1章は現在の日本社会への認識を説明。第2章で「社会運動の変遷」を説明する。第2章は工業化社会・ポスト工業化社会における世界的な社会運動の潮流。そして第3章で「戦後日本の社会運動」を歴史的に振り返る。60年安保闘争、大学自治会と新左翼、「全学連」と「全共闘」、セクトなど、これが筆者の専門分野らしいが、時代の背景と運動の必然などを非常にわかりやすく解説してくれる。
 第4章では「民主主義とは」何かを、古代ギリシャに遡ってプラトンの哲人王の議論をベースに説明。同時に、なぜ議論をするのか、代議制とは何かなどを解説。第5章は「近代自由主義とその限界」。デカルトの「我、思う故に、我あり」は神への信託がベースにあること、ルソー、アダム・スミスベンサムトクヴィルと主立った西欧思想家を巡り、近代自由民主主義の背景を探る。
 こうした古代・近代思想を経て、第6章「異なるあり方への思索」では、現代に至る数々の思想を確認していく。ハイゼンベルクの不確定性定理、フッサール現象学ヘーゲルマルクス弁証法。そしてアンソニー・ギデンスの再帰的近代化の思想にたどり着く。
 ここから現在の行き詰まり感はどこから生まれるかを解明し、その打開策を提言する。

●旧来の「われわれ」にもとづいた政治が、人びとが「自由」になるなかで崩れているのであれば、新しい「われわれ」を作るように努力する。公開と対話によって人びとの参加をうながし、そのための場を作って決定権を持たせ、エンパワーメントするのが政府や専門家の役割だ。(P422)

 この結論とここまでの流れも概ね理解する。デモが本当に公開と対話の場であるかは、まだ確定的ではないような気がするが、これまでの政治装置ではないところで、こうした公開と対話の場が求められていることは事実だろう。そして「われわれ」が決定権を取り戻すための闘い。だがこれは同時に、「われわれ」の決定が正しいことを保証するものではないことも確かだ。議論し挙手するのは決定にあたっての興奮、神の降臨を求めている。神に裏切られるのであれば、それもまた神意として受け入れる、ということだ。
 結局、「われわれ」は納得したいのだ。社会とは本当にそうやって変わっていくのだろうか。これからの変貌する日本をいつまでも見ていたい。その時私はどこにいるのだろうか。

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには (講談社現代新書)

●家族でも政治でも労組でも、お金や暴力に頼るようになるのは、人びとが「自由」になってきつつあるのに、新しい関係に移ることを拒否して、旧来の関係をむりやり保とうとするからです。お金や暴力は、関係が希薄になってくるところに、関係の代役として入り込んでくるのです。(P119)
●なぜ議論をしなければならないかといえば、・・・ようするにそうしないと「みんなが納得しない」からです。・・・「これには反対だ!」「私はこう思う!」と議論をかわし、場が盛り上がったときに挙手を求めます。これは・・・その場でワーッと挙手をしたほうがよろしい。そこではじめて、個別の意見の寄せ集めではない、「民意」がこの世に現れます。・・・それはすなわち、個別の意見を超えた「神の意志」が降ってきたことだ、と考えられているわけです。(P205)
●もともと、自由主義と代議制と民主主義の三つを組み合わせる、ということじたいに無理があるのです。・・・好意的に解釈すれば、代議制の自由民主主義というのは、一種の混合国政です。投票の代議制というのは、いわば選挙による貴族政です。自由主義というのは、・・・いい王様が治安と外交だけやってくれ、という考え方です。民主主義というのは、みんなで決めないと納得できない、という考え方です。(P323)
●放置しておいては、既存の「われわれ」が崩れていくばかりなので、新しい「われわれ」を積極的に作らないといけない時代になったのです。/とはいっても、うまくいかないことも多い。まず対話にのってこない。不慣れで知識もない。・・・対話すべき主体の力が低くなっているということです。・・・それを変えるためには、対話主体を元気づける、力をつけるしかありません。いわばエンパワーメント(力づけ)し、アクティブ化しなければならない。それを助けるのが、政府なり専門家のやるべき新しい役割だということになります。(P398)
現代社会では、中央制御室にあたるものはありません。だから、首相だけ替えても変わりません。・・・公務員を削れ、・・・競争原理を導入しろ、といった「新自由主義」は、・・・むしろ、「自分はないがしろにされている」・・・「俺に分け前をよこせ」という叫びであるようです。・・・恵まれない人、不満を持っている人は、「失業者」「非正規」「母子家庭」といったカテゴリーごとにカバーしよう、という発想は、・・・限界です。/となると、私の思いつくかぎりでは、答えは一つしかないようです。みんなが共通して抱いている、「自分はないがしろにされている」という感覚を足場に、動きをおこす。そこから対話と参加をうながし、社会構造を変え、「われわれ」を作る動きにつなげていくことです。(P438)