とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

京都大学日帰りツアー


 京都大学へ行ってきた。30数年前、私も京都で学生生活を送ったが、その時以来の京都大学。朝、洗濯などをしていたら、出発が9時半になってしまった。それからガソリンを入れ、娘の運転で名神高速へ。京都東ICを出て15分。仕事なので構内駐車場に駐めさせてもらう。
 私が京都にいた当時は時計台本館は長い垂れ幕が何本も下がり、汚いアジ看板が其処彼処に立てかけられ、外観をまともに見た記憶もないが、今ではきれいに改修され、端正な姿を見せている。正門の横にはインフメーションセンターがあり、マップなども置かれていたようだが、既に棚は空になっていた。その西側にカフェレストラン「カンファーレ」がある。
 ちょうど12時半位で、見学に訪れたらしい高校生や観光客などが長い列を作っていた。時計台記念館内のフランス料理レストラン「ラ・トゥール」はランチが1575円から。どうしようかと迷っていたら、高校生グループが大挙、別のカフェテラスへ移動したため、順番が回ってきた。ちなみに、「ラ・トゥール」の方は外部委託しているが、「カンファーレ」は大学生協が運営。日替わりランチは570円とリーゾナブル。もっとも学生の時は、素うどん100円、カレー120円位だったような気がする。

 昼食後、構内を散策。時計台記念館の西奥にある建物はその特徴的な外観を記憶している。玄関ホールに白い柱が5本立ち、その上部が凹状にバックして、さらに上部に張り出し窓がある。法経済学部本館。昭和8(1933)年建築、大倉三郎設計。昔、大学祭のコンサートでこの建物の前に並んだことがある。上田正樹のコンサート。野坂昭如タモリも出演したっけ。初めて見た一人麻雀は衝撃的だった。
 その西隣には旧石油化学教室本館。明治31(1898)年建築。大正11(1922)年2階部分増築。あまり当時の記憶がない。その北に附属図書館。1〜2回しか利用したことはない。さらに北には教育学部本館。高校の同級生の女子が教育学部にいて数回歩いた記憶あり。そして文学部陳列館。大正3(1914)年建築。旧石油化学教室本館と同じ、山本治兵衛・永瀬狂三設計。丸い破風の円形窓と装飾など、ネオバロック様式が瀟洒な建物。煉瓦造りの登録有形文化財だが、当時の記憶は一切なし。

 さらに足を進め、右に曲がると、窓上のアーチ、玄関破風などが美しい赤煉瓦の建物が見えてくる。土木工学教室本館だ。大正6(1917)年建築。やはり山本治兵衛・永瀬狂三設計。そしてその東に建築学教室本館がある。大正11(1922)年建築。小豆色のタイル、玄関部分に緩やかに張り出したカーブ。これまで見てきた建築物と明らかに違う。
京都大学最初の鉄筋コンクリート造。設計は建築学科初代教授の山田五一だ。その北側にある鉄筋コンクリート打放しの建物がかつて建築学科の教室として使われていたが、今は総合研究5号館・地球環境学堂・学舎・低温物質科学研究センターとなっており、現在の建築学科は基本的に桂キャンパスへ移転している。講義もほとんどそちらで行われ、吉田キャンパスへは教養科目の受講のために訪れるくらいだと京大出身の部下が教えてくれた。
 私は4時まで時計台記念館内で会議があり、そこで別れた。妻たちはバスに乗って祇園まで移動。祇園四条の鍵善良房で葛切りを食べ、四条河原町まで散策。私は会議後、車で河原町通りを南下。三条付近で合流してクルマに拾った。

 その後の行くあてもなかったが、三条の安藤忠雄作品Time’sの横を通り、鴨川べりを北上。同志社の前を走って煉瓦造りの建物を眺める。そのまま烏丸通りを北上。府立植物園北の安藤忠雄設計、京都府立陶板名画の庭に向かう。ところが着いたときには閉館。外からいかにも安藤忠雄らしい外観を眺めた。
 仕方がないのでその後、私の下宿があった一乗寺下り松付近、妻の下宿のあった馬町付近を訪れるが、すっかり変わっていてどこかわからない。既に他の建物に建て替わっていたようだ。次第に暗くなってきたので、夕食を兼ねて京都駅へ直行。夕食後、大階段を楽しみ、千枚漬けなどのお土産を購入。7時半過ぎに帰途についた。いつもながらの駆け足の京都旅行だったが、思い出を追いかけての旅行は見聞きするもの以上に懐かしさと思い出話で盛り上がった。楽しかった。