とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

社会人の生き方

 「豊かさとは何か」、「豊かさの条件」は今もわが家の書棚に並べられている(「豊かさの条件」の読書感想と同じ書き出しだな)。深く感銘を受けた書物の中の一冊だ。暉峻淑子ももう84歳になる。だが社会を見つめる目はけっしてぶれることがない。
 「社会人の生き方」というタイトルに、来年、就職する娘こそ読むべき本ではないかと思った。だが実はタイトルが間違っている。本当は「大人を社会人にする社会とは」とか、「社会人が作る社会の在り方」とか、「社会と社会人」などの方がふさわしい。「社会人はどう生きるべきか」を説いているのだけれど、同時に現在の日本は、社会人が社会人として生きておらず、社会人になれない社会だということを喝破する。そして、大人が真に社会人となるためには、社会人として育てなければいけないし、社会人を尊重する社会でなければならないし、そうした社会を社会人が自ら作らなければならない。
 「第1章 社会人になれない人びと」で昨今の社会情勢を総括的に取り上げた後、地域社会の現状とNPO活動などを論じる「第2章 身近な社会とのかかわり」、労働社会と雇用を論じる「第3章 社会人にとって働くとは何か」、格差問題とそれにより社会から弾きだされる格差社会を論じる「第4章 格差社会を生きること」、そして教育問題を論じる「第5章 社会人をどう育むか」の各章で構成される。
 「おわりに」には「社会人のすすめ」とサブタイトルが付けられている。人間はどこまで行っても社会と切り離されて生きることはできない。ならばこそ積極的に社会にかかわって生きていかねばならない。そうして、想像力を持って社会にかかわっていくことで、社会は個人によって変えられる。総選挙も近い中、「社会人のすすめ」は我々にどう生きるべきか、何を選択すべきかを諭してくれている。

社会人の生き方 (岩波新書)

社会人の生き方 (岩波新書)

●私たちは、個人であると同時に社会人であり、自然の一部として生きている自然人でもある。この三つはどれも切り離すことのできない一体のものとして、人間を人間たらしめている要素なのだ。この三つが偏りなく撚り合わされて私たちの人生の意味と目的を支えているときに、私たちは、たぶん豊かな幸福感を持つことができるのだと思う。(まえがきP2)
●会社が求めるのは即戦力というが、自分の身の回りだけが視野にあり、社会全体のことが考えられないような専門的即戦力とは一体何だろう。即戦力ばかりが強調されると、「社員の即戦力」が容易に反社会的行動と結びつく。むしろ今は「全体性との関係の中での専門性」こそが求められる時代だと思う。(P30)
●ドイツでは1970年代からペーター・C・ディーネル教授によって考案されたプラーヌンクスツェレ(市民討議会)という・・・「行政の討議デモクラシー」の制度が機能している。・・・そのような制度があれば、社会への市民の関心は格段に大きくなるだろう。市民は市政の見物人であったり、自分の利害だけで行政に要求する主権者ではなく、社会全体に対する責任者としての市民になる。このような制度こそ民主主義を活性化させ、市民を社会人に育てるのだ。(P89)
●本来、経済活動とは人間生活のためのものだからだ。利益の再分配や社会保障による国民の生活保障ができないとすれば、国家の存在する意味もなくなるし、福祉国家としてのアイデンティティもなくなる。私たちはどんな国家、どんな社会で生きていきたいのか。・・・すべての大人は、社会人としての責任を負っているのだ。法人格を持つ記号も、その社会的責任から逃れることはできない。(P156)
●公的なことや社会的なことは、日本の教育では「理解の対象」であり、守るべきルールであり、知識ではあっても、そこに積極的にかかわり、民主主義を批判的に捉え直し、新しい公共を作っていくことが民主主義である、とする視点に乏しい。(P206)