とんま天狗は雲の上

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日本の「情報と外交」

 2009年に刊行された「情報と外交」を改題し、新書として発行された。尖閣問題については「新書版の序にかえて」で書かれているが、本文の内容はやや古いかもしれない。しかし筆者が提起する「日本の情報外交の問題」は、今になってもまったく目を向けられることなく、ますます米国追従の度はひどくなっている。いや、TPPの参加を表明するなど、日本は属国化、植民地化の方向にさらに大きく一歩を踏み出そうとしている。国家主権の放棄である。国家主権が要らないのだから、外交などはあり得ず、情報機能など不要だ。そう考えると、本書で筆者が訴えていることがあまりに空しくなってくる。
 逆に、筆者が外務省にいた時代は、まだ多少なりとも日本独自外交について考える風潮があった。たとえ考えるだけではあっても。いまや考えることも検討することもない。情報を集め、警鐘を鳴らし、主張する者はことごとく無視され切り捨てられていく。真の愛国者ほど切り捨てられる時代。
 本書では情報分析のイロハについて豊富な経験を素材に述べていく。「今日の分析は今日のもの、明日は豹変する」「現場に行け、現場に聞け」「情報のマフィアに入れ」「まず大国(米国)の優先順位を知れ」「15秒で話せ、1枚で報告せよ」「スパイより盗聴」「『知るべき人へ』の情報から『共有』の情報へ」「情報グループは政策グループと対立する宿命(かつ通常負ける)」「学べ、学べ、歴史も学べ」そして「独自戦略の模索が情報組織構築のもと」。
 今の時代、「まず大国(米国)の優先順位を知れ」の原則から見ると、日本はどう動くべきか。その視点からの筆者の分析を聞きたい。

日本の「情報と外交」 (PHP新書)

日本の「情報と外交」 (PHP新書)

●緊張をもつことは何かと好都合だ。しかし、この緊張が暴発したら大変である。十分管理できる程度に収めておく。国際社会では、すべての人が平和と安定を目指しているわけではない。ほどよい緊張が望ましいと思う人も多い。このことは、指導者層が国内的基盤を固めるため、意図的に緊張状態を求める可能性を示している。それは日本でもけっして無縁な現象ではない。(P40)
●重要なことは、世界の情勢を見るとき、「まず大国(米国)の優先順位を知れ、地域がこれをどう当てはめる?」を考えてみることである。地域情勢から見て、大国の意図を見抜けないと、おおきな情勢判断のミスを犯す。(P131)
孫子は・・・情報分野を軽視する者は「民衆を統率する将軍とはいえず、君主の補佐役ともいえず、勝利の主宰者ともいえない」としている。しかし、残念ながら日本は、情報の分野を最も軽視してきた。国際社会での戦いで勝利の主宰者になりえない。そもそも今日日本では、安全保障や外交で「勝利を得るには……」の発想すらないのではないか。(P153)
●国家の組織で対外活動をするのは、軍事と外交がある。情報は、軍事と外交の場で行動を起こすことを前提とする。要は、この部門で日本がどこまで独自の外交と、独自の軍事を展開する意思があるかにかかる。独自の軍事政策、外交政策を追求すれば、独自の情報が必要となる。日本の軍事政策と外交政策が米国依存なら、独自の情報機関は不要である。(P236)
●わたしは、情報分野を含め、安全保障面での日米一体化は、いまが頂点にあるのではないかと思う。国際社会での米国の優位性の後退は、避けがたい潮流と思う。同時に中国の力は上昇する。米中の狭間にあって、日本の安全保障政策の舵取りは難しい時代に入る。否応なしに、独自の情報能力が問われる時期が来る。ほんとうはその日に備え、日本は情報機能を強化すべき時期に入っている。(P260)