とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

1945年のクリスマス

 日本国憲法のうち、女性の権利関係の条項を書いたベアテ・シロタさんが先日亡くなった。彼女の名前と行動はその訃報に接して初めて知った。その後、アルファブログの「世に倦む日日」で本書を取り上げており、興味を持って読み始めた。1995年発行。もう20年近く前の本だ。図書館の閉架書庫から取り出してくれた。
 憲法関係の難しい本かと思ったら、ベアテ・シロタさんの半生を綴る平易な自伝だ。日本憲法原案の執筆をした1946年2月4日から12日までの9日間を綴った「第5章 日本国憲法に『男女平等』を書く」が最も分量も多く読み応えがあるが、両親の生い立ちと日本で生活するまでを綴る第2章、アメリカ留学するまでの乃木坂での10年間を描く第3章、両親と離れ離れに暮らした戦前のアメリカでの貧窮生活(第4章)、GHQの一員として来日した当初の日本の惨状と両親との再会(第1章)。さらに両親とともにアメリカに渡り、結婚してからの生活を綴った第5章、第6章のいずれもが興味深い。
 シロタさんの男女同権への思いの強さもさることながら、当時、女性の権利が尊重されていなかったのは日本だけではなかったという記述に目が惹かれる。アメリカでさえ女性は庇護されるべきものという意識が強い状況下で、シロタさんの原案もGHQ内の検討でかなりの部分が削除された。1950年代になってようやくアメリカでもウーマンリブ運動が展開されたことが、市川房江の訪米通訳をこなした話の中に語られている。欧州各国の憲法の中でも女性の権利が謳われたものは少なく、日本国憲法はそれらの中でも先進的なものだった。当時の理想が語られていたのだ。
 今、日本では首相が率先して改憲に向けた動きが急である。その際には現憲法GHQからの押し付けで自主憲法ではないということが言われる。だが、当時自主的に作成しようとした憲法の内容、現憲法の内容、改正しようとする憲法の内容が十分国民に説明されているようには思えない。たぶん現在の首相はTPP等と同様に、十分内容を説明せず押し切ろうとしているように見えるが、大丈夫だろうか。
 現在の日本国憲法GHQが押し付けたものかもしれないが、内容は当時の最先端を行く理想的なものだった。とすれば、万一改正される憲法はさらに先進的で世界に誇れるものでなければなるまい。それが最低限、シロタさんの涙に応えることではないか。シロタさんの死と同時に涙の意味を忘れ去っていいわけではない。

1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝

1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝

●待っている間も、各国の憲法を読みなおし、女性の権利で見落としている事柄はないかとチェックしたりした。気づかなかったばかりに、後で日本の女性たちが苦労することにないように、と念を入れた。私は、自分の肩にかかっている責任を強く感じていた。今朝もお濠端を歩いて不思議な思いに駆られた。「あなたの未来は今私が書こうとしている事柄で決まるのよ」/行き交う女性の顔を見ると、そんな科白が口をついて出そうになった。(P166)
●激論の中で、私の書いた”女の権利”は、無残に、一つずつカットされていった。一つの条項が削られるたびに、不幸な日本女性がそれだけ増えるように感じた。痛みを伴った悔しさが、私の全身を締めつけ、それがいつしか涙に変わっていた。気がついたらケーディス大佐の胸に顔を埋めて泣いていた。・・・私がケーディス大佐に抗議できたのは、彼の軍服の胸を涙で濡らすことだけだった。(P285)
マッカーサー元帥は、占領政策の最初に婦人の選挙権の授与を進めたように、女性の解放を望んでおられる。しかも、この条項は、この日本で育って、日本をよく知っているミス・シロタが、日本女性の立場や気持ちを考えながら、一心不乱に書いたものです。・・・ケーディス大佐の言葉に、日本側の佐藤達夫さんや白洲さんらが一斉に私を見た。(P216)
●国と国とが友好関係になるためには、偉い政治家が行き来してもあまり効果がないと私は思う。庶民レベルの人たちが行き来してこそ、理解が深まる。それには言葉の壁がない民族芸能はうってつけだと考えていた。(P269)
●戦争の原因になっているのは、宗教や領土、政治、経済と様々な理由があるが、なぜ皆「違い」を強調するのだろうか。どこの国の人でも共通点のほうがずっと多いのに。そのことを実感としてわかっているのは、女性だと思う。/私は、世界中の女性が手をつなげば、平和な世の中にできるはずだと思っている。地球上の半分は女性なのだから、その女性たちのパワーを集めることが大事だと思う。(P303)